伝教七薬師
伝教七薬師のリストです。
『筑前國続風土記』によれば、この7体の薬師仏は伝教大師が制作したものという。 制作時期・場所については、2説述べられている。 すなわち、①入唐前に太宰府竃門山寺にて制作(巻之7)と②入唐後に古所山にて(巻之11)である。 ①説では入唐前に旅の安全を祈って、②説では入唐後に無事帰朝のお礼にである。 ②説の場合は7薬師仏は現在の南淋寺にある(あった)ことになる。 ①説では下記のリストのお寺に分散して安置されたようだ。 作者は根拠は無いが①説に従い、7ヶ所に分散された説をとることとする。そのほうが、話の広がりがあっておもしろい。(当ページの下部に『筑前國続風土記』の原文の抜粋を掲示します。)
呼称「伝教七薬師 」は作者が命名しました。 札番はありませんが、システム的に必要な為、作者が付番しました(『筑前國続風土記』の記載順)。
伝教大師 七仏薬師霊場 - 日本各地の巡礼・巡拝霊場の紹介)というページがあり、「伝教大師 七仏薬師霊場」として7ケ寺掲載されている。それによればさらに、エリアは広がる。 ページを宇智山中堂・南淋寺・東光院・種因寺はエントリーされているが、武蔵寺 ・朝日薬師堂・東蓮薬師堂は他の寺と置き換えられている。 これ以上深入りはやめよう。
謝辞:本ページの大部分は太宰府市のT.T様からの情報による所が大きい。この場を借りてお礼を申し上げます。
地図はこちら。
札番 | 種別 | 名称 | ふりがな | 所在地 | 標高 | 宗派 | 概要 | お勧め | 標高 | キーワード |
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003 |
寺
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種因寺
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しゅいんじ | 嘉穂郡桂川町土師3135 | 59.4 | 天台宗 | ☆☆☆ | 59.4 | [九州四十九院薬師霊場第4番札所][伊藤氏参拝済][伝教七薬師第3番] | |
001 |
拝
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竈門山寺跡
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そうもんさんじあと | 太宰府市内山 | 167.4 | 神仏習合 | ☆☆☆ | 167.4 | [仙厓][伊藤氏参拝済][伝教七薬師第1番][宝満山修験会入峰][柴燈護摩供][紅葉] | |
007 |
拝
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東蓮寺薬師堂
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とうれんじやくしどう | 太宰府市通古賀1-9-23 | 29.6 | 仏教礼拝所 | ☆☆☆ | 29.6 | [伝教七薬師第7番][筑紫四国八十八カ所霊場第90番札所][日田街道福岡城路] | |
002 |
寺
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南淋寺
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なんりんじ | 朝倉市宮野86 | 85.8 | 真言宗大覚寺派 | ★★★ | 85.8 | [九州八十八ヶ所百八霊場第6番札所][九州四十九院薬師霊場第2番札所][伝教七薬師第2番][名鐘][裏山の柿畑の紅葉][紅葉] | |
005 |
拝
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朝日薬師堂
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あさひやくしどう | 朝倉郡筑前町朝日692 | 31.8 | 仏教礼拝所 | ★☆☆ | 31.8 | [伝教七薬師第5番] | |
004 |
拝
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東光院跡
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とうこういんあと | 福岡市博多区吉塚3丁目20-37 | 5.9 | 真言宗 | ★☆☆ | 5.9 | [伊藤氏参拝済][伝教七薬師第4番][福岡市新四国霊場第2番] | |
006 |
寺
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武蔵寺
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ぶぞうじ | 筑紫野市武蔵621 | 63.7 | 天台宗 | ★★★ | 63.7 | [長者の藤][伊藤氏参拝済][伝教七薬師第6番][写経][筑紫四国八十八カ所霊場第81番札所] | |
札番 | 種別 | 名称 | ふりがな | 所在地 | 標高 | 宗派 | 概要 | お勧め | 標高 | キーワード |
『筑前國続風土記』巻之7 御笠郡 上の記事
○竃門山(神社) (此山上に、福岡より6里、宰府の鳥居より50町、有智山村より22町あり。)
(前略)按ずるに、水鏡に、傳教筑紫にて唐土へ渡らん折りに、かまどの山寺にて薬師佛7體を作るとあり。
又叡岳要記に云、延暦22年10月21日太宰府竃門山寺におゐて、4船平達せんために、敬て白檀像の薬師佛4體を作る。高6尺餘とあり。
今社家者の云傳へには7體とす。故に7ヶ所に薬師堂あり。 所謂7ヶ所とは有智山寺(則當山の中堂也。)、上座郡宮野村の境内八坂の南林寺、穂波郡土師村種因寺、那珂郡堅糟村薬王寺、 夜須郡朝日村日照寺、御笠郡武蔵村武蔵寺、通古賀村東林寺是也。(7佛薬師の在所別に又一説有。上座郡南林寺の所に詳に記せり。)(後略)
『筑前國続風土記』巻之11 上座郡の記事
○南林寺(眞言宗)
(前略)本尊の薬師は傳教大師の作にして秘佛也。縁起にしるし侍るは、傳教大師入唐せんとて、博多より船を出せしが、難風にあひ危かりしかば、心中に祈願して云、もし恙なく帰朝せば、7佛薬師を作、供養し安置すべしと誓ふ。 然るに風波穏に成て、恙なく入唐す。 帰朝の後、朝廷に御暇申、宿願をとげんため筑紫に下り、薬師を作らんとて博多に下向し、用木を尋ねしに、所の者云けるは、此地に良材なし。 白山(古所山の事也。)にこそ能木はるべけれと云しかば、さらば白山に行んとて、依井川を渡り、手水をつかひけるに、此水他の水に替り美味なり。 それより其水を甘水と號す。川に付て山に上りけるに、白山谷わたりに、大木1本臥てありけるが、(其所今も薬師谷といふ。)木のふし口より金色の水流れ出けるを見て、是こそと思ひ、其木を7きだにきり、1の口を斧初す。白山の谷屋にて1斧3禮して佛を作り終れり。 然るにこの佛失して、上座の長渕にいたる。傳教夢の告に任せ、長渕に尋ね行けるに、山中に彼の佛あり。其所に寺を立て安置す。 弘仁元年(810)4月8日開堂せり。 夢に薬師佛告て曰、我は南の林に在と。此故に其寺を南林寺と號す。傳教の開ける寺なれば天台宗なるべし。(後略)