JR行橋駅 東側(2019-06-22)・・・福岡県行橋市

概要

  • 本堂 2017-03-05
    本堂 2017-03-05
    浄喜寺[真宗大谷派]行橋市今井1802

今回の特記は、やはり浄喜寺です。真宗大谷派の九州における最大拠点であったという歴史はさすがで、格の違いが伺える寺院でした。

また、旧飴屋門の歴史からは、行事・大橋地区のかつての繁栄ぶりが偲ばれました。

当日のコースは、アップダウンは全く無く、コンビニ等が随所にある、散策するに適したコースでした。

[作者より]旧縁寺-禅興寺-浄蓮寺のルートは道幅も昔のものに近く旧街道の風情を残す所ですね。

それぞれのお寺のページに当日伊藤氏が訪問したときの伊藤氏メモを掲載しています。 こちらもお見逃しなく。(作者)

参拝ルートの地図はこちら

順路 参拝(登録済):18ケ寺、概算移動距離>10km

JR博多(07時31分始発特急) → JR行橋(08時50分着) → 両徳寺(行橋市中央) tooltip → 万福寺(門樋町) tooltip → 光徳寺(中央) tooltip → 浄喜寺(今井) tooltip → 西福寺(今井) tooltip → 宝林寺(今井) tooltip → 三明寺(今井) tooltip → 観通寺(今井) tooltip → 大聖院(南大橋) tooltip → 手打ち蕎麦たな加(大橋/12時20分~昼食) (*1) → [麺処金田家(大橋)] (*2) → 円成寺(大橋) tooltip → 養徳院(大橋) tooltip → 普門寺(中央) tooltip → 旧縁寺(大橋) tooltip → 禅興寺(大橋) tooltip → 浄蓮寺(大橋) tooltip → 正妙寺(行事) (*3) → 宝地院(行事) tooltip → 要言寺(行事) (*4) → 旧飴屋門(行事) (*5) → 酉福寺(行事) tooltip → 眞念寺(行事) tooltip → JR行橋(駅到着15時55分/16時22分発特急) → JR博多(17時28分着終点) → 帰途


補足

  1. 手打ち蕎麦たな加 (行橋市大橋1丁目3-57、0930-24-5633)

    こじんまりとしていますが、開店4年目という綺麗なお店で、蕎麦も本格手打ちで美味でした。

    参考:手打ち蕎麦 たな加(行橋/そば(蕎麦)) - Retty

  2. 麺処金田家 (行橋市大橋1丁目4-3、0930-24-3666)

    怪我のため20年の選手生活に終止符をうった元競輪選手が独学で学び開いたラーメン店。

    平成21年(2009)の開店以来、九州ラーメン選手権優勝や北九州ラーメンフェスティバル2年連続優勝などの実績ありとの由。また、ロンドンや香港にも出店とのこと。当日は、あっさり目の昼食をとりたく、外観見学のみでしたが、予想どおり店前は行列でした。                  

    参考:元競輪選手がつくるホワイトラーメン 久々の聖地巡礼!福岡の至宝というべき、極上の黒豚とんこつらーめん / めんむすび                       

  3. 大行山(だいぎょうさん) 正妙寺(しょうみょうじ) (日蓮正宗 〒824-0001 福岡県行橋市行事1丁目1-10、0930-22-0961)

    明治21年(1888)行橋教会所として建立、昭和22年(1947)寺号山号を公称という。

  4. 神力山(じんりきさん) 要言寺(ようごんじ) (日蓮正宗(〒824-0001 福岡県行橋市行事1丁目22-41、0930-23-9773)

    昭和61年(1986)建立。平成8年(1996)に創立10周年を記念して本堂の増改築や三門・庫裡の新築等が、平成24年(2012)に創立25周年を記念して本堂増築がなされたという。

  5. 旧飴屋門(きゅうあめやもん) (行橋市行事5丁目5-3)

    以下は、門前の案内板による。

    行事(ぎょうじ)と大橋は江戸時代、城下町小倉に次ぐ商人の町として栄えた。なかでも、行事の飴屋は玉江家の3代目宗利が宝永6年(1709)に飴の製造販売を始めて以来、綿や酒、(ろう)などの品で、船を用いての上り商い(のぼりあきない)と呼ばれた大阪方面との商売を行うなど次々と事業を拡大し全国に知られる豪商にまで成長した。

    この門は飴屋の屋敷の門であった。裏に控え柱がある薬医門(やくいもん)という形式で、総欅(そうけやき)造り・本瓦葺きの豪壮な造りである。小倉藩主が領内を視察する際には、飴屋の屋敷を宿泊所としたため、藩主を迎えるための門「御成門(おなりもん)」とも呼ばれていた。7代目蓬洲(ほうしゅう)の天保12年(1841)頃の建築と伝わっている。

    部分的な改修はあるものの、創建当時の姿をよく残している。飴屋と行事・大橋の繁栄の歴史を物語る貴重な建築物である。(行橋市指定文化財)

    また、これより南側、万年橋(たもと)長峡川(ながおがわ)沿いに立つ[中津街道]と題された案内板には、以下のような記載がある。万年橋は、飴屋が架けたため飴屋橋とも呼ばれた。長峡川河口は[樋々の口]と呼ばれた船着場で、飴屋もここを拠点に国内貿易を行った。

    旧飴屋門の写真は、行橋市HP / 旧飴屋門で、飴屋にまつわる歴史については、西日本シティ銀行 /ふるさと歴史シリーズ / 北九州に強くなろう / No16 飴屋物語 小倉藩十五万石を支えた 裏方の豪商をご覧ください。