佐賀市佐賀大和インター南側・北側(2017-11-11)・・・佐賀県佐賀市
概要
11月11日(2017年)は、佐賀市の佐賀大和インター周辺を廻ってきました。インター南側は、かつて肥前国庁や国分寺・国分尼寺があった 歴史を感じる地であり、インター北側は「九州の嵐山」と呼ばれた川上峡の風光明媚を味わえる地でした。
季節もよく、丸徳の「カツ丼」と、ときわ家の「白玉饅頭」もたいそう美味美味美味でした。
それぞれのお寺のページに当日伊藤氏が訪問したときの伊藤氏メモを掲載しています。 こちらもお見逃しなく。(作者)
参拝ルートの地図はこちら。
順路 参拝(登録済):21ケ寺、概算移動距離>12km
JR博多(07時54分始発特急)
JR佐賀(08時32分着)
佐賀駅バスセンター(08時45分発佐賀市営バス)
千布(09時06分着)
浄円寺(佐賀市金立町)
お辰観音堂(金立町)
大師堂(金立町)
瑞光寺(金立町)
妙見神社(大和町久池井)
(*1)
城徳寺(大和町尼寺)
地蔵堂(大和町尼寺)
肥前国分寺跡(大和町尼寺)
蓮栄院(大和町尼寺)
(*2)
光沢寺(大和町久池井)
常立寺(大和町久池井)
肥前国分尼寺跡(大和町尼寺)
長谷寺(大和町尼寺)
印鑰神社(大和町尼寺)
(*3)
丸徳大和店(大和町尼寺/12時25分~昼食)
(*4)
肥前国庁跡歴史公園(大和町久池井)
(*5)
玉林寺(大和町久池井)
高城寺(大和町久池井)
乙文殊宮・文珠院(大和町梅野)
川上観音堂(大和町梅野)
親正寺(大和町梅野)
與止日女神社(大和町川上)
實相院(大和町川上)
明王院(大和町川上)
妙法寺(大和町川上)
円光院(大和町川上)
本家ときわ家(大和町川上/16時15分)
(*6)
川上軌道跡碑(大和町梅野)
(*7)
ユースピア入口[都渡城](16時40分発昭和バス)
佐賀駅バスセンター(17時05分着)
JR佐賀(17時13分発特急)
JR博多(17時53分着終点)
帰途
補足
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妙見神社 (佐賀市大和町久池井300)
妙見神社は妙見菩薩という、北極星を神格化した祭神を祀ってる。菩薩という仏号を持つのは、江戸時代までの神仏習合の名残である。
鳥居が享保2年(1717)、境内の三界萬霊塔が宝暦10年(1760)と、古い歴史が感じられる神社である。
狛犬は明治36年(1903)の岩狛であるが、後肢は伸展せず蹲踞の形を取っている。尾の形などから、塩田系統のように思われる。丸顔のおじいさんのような顔つきで愛嬌がある。(「ブログ/狛犬天国ー大和町春日地区の狛犬」より) -
蓮栄院 日蓮正宗(〒840-0201佐賀県佐賀市大和町尼寺1169-1、0952-62-5148)
肥前国分寺跡の東側の四つ角にある。白壁平屋・集会所風の新しい建物。広い駐車スペースを兼ね備えている。 -
印鑰神社 (佐賀市大和町尼寺1528)
当社は律令時代(7世紀後半~10世紀前半頃)には肥前国府の印と鑰を祭った所である。この印鑰は国印と国府倉庫のカギを意味しており、国司が国務を執行するに当って最も重要なものとされていた。
平安時代の後半頃、各地でこの印と鑰が神格化し、御神体となっていった。後世になってからは、御神体としては他の神を祭るようになり、現在当社の御神体は大己貴神(大国主命)である。
当社は、南北朝末期の永徳2年(1382)鑰山城主・鑰尼信濃守藤原季高が建立したものであるが、文明2年(1469)千葉氏の内乱で兵火にあい焼失した。
寛政元年(1789)成富左兵大蔵種模が村内氏子とともに再建したもので、爾後幾度かの改修がなされた。(境内の「案内板」より) -
丸徳大和店 (佐賀市大和町1942-2、0952-62-7557)
「佐賀県1番のカツ丼」の看板どおり、ここの「カツ丼」は絶品・上旨、お奨め三ツ星です。いや~旨かった、旨かった~!
店の様子は「ブログ/佐賀ポータル/「丸徳 大和店」佐賀で一番のカツ丼が有名なお店が2号店をオープン」でどうぞ。 -
肥前国庁跡歴史公園 (佐賀市大和町久池井2754、0952-62-7441)
佐賀大和インター出入口の南側、「肥前国庁前」の信号交差点を西に入った場所にある。
肥前国庁跡資料館では肥前国庁や市内の遺跡から出土した貴重な品々を公開している。また公園内には約1200年前の国庁の建物の一部(南門)を復元している。資料館・史跡跡とも入場無料である。
資料館内部や復元された南門の様子は「YouTube/さがCテレビ[肥前国庁跡歴史公園]篇」でご覧になれます。 -
本家ときわ家 (佐賀市大和町川上951-6、0952-62-0088、Links:本家 ときわ家)
實相院仁王門の東側に店舗を構える、佐賀川上峡名物・白玉饅頭の店。「ときわ家」となってから70年以上、その前の「だるまや」の時代からすると100年の歴史を重ねる老舗である。店内で出来たての白玉饅頭をいただける(1個75円)。
白玉饅頭の名は、川上峡の与止日女伝説が由来。川上を訪れた神功皇后の妹の与止日女が荒ぶる川を鎮めた後、この地に住み、「白い玉のような男の子」を産んだという言い伝えから名付けられたといわれている。 -
川上軌道跡碑 (佐賀市大和町梅野)
川上峡嘉瀬川沿い官人橋南側、昭和バスの「ユースピア入口[都渡城]」停留所の所にこの記念碑が立っている。
碑文の要旨は次のとおりである。
<川上軌道終点停留所跡地>
大正2年(1913)神野・都渡城間(7.5km)に軽便鉄道が開通し、この地が終点停留場であった。普段は1両であったが、實相院のお経会や納涼のときは2~3両増え、かん高い汽笛を鳴らし、黒煙を吐きながら走った。
昭和2年(1927)川上峡は日本百選に入選し、昭和4年には県立公園に指定され、風光明媚な九州の嵐山として発展した。昭和4年、軽便鉄道から川上電車に変わり、電車が走るようになった。昭和12年に廃止になるまで、多くの人々に親しまれた。
この碑の写真や関連情報は、「ブログ/鉄ちゃんラボ/佐賀市内に馬鉄と路面電車が走っていた!!」 でご覧になれます。