JR直方駅周辺(2017-08-19)・・・福岡県直方市

概要

  • 全景 2017-04-29
    全景 2017-04-29
    圓徳寺[浄土真宗本願寺派]直方市古町2-7

8月19日(2017年)は、JR直方駅周辺を廻ってきました。 暑さの厳しい時期ですので、距離行程は控えめにしてぶらぶらゆっくりと散策しました。

直方は、福岡黒田藩の支藩とした栄えた歴史や、かっての炭鉱王・貝島太助の面影が随所に残る情緒ある街でした。

直方の街の雰囲気は、直方市の街並み(前編) - Fukupedia直方市の街並み(後編) - Fukupediaで味わえます。

それぞれのお寺のページに当日伊藤氏が訪問したときの伊藤氏メモを掲載しています。 こちらもお見逃しなく。(作者)

参拝ルートの地図はこちら

順路 参拝(登録済):10ケ寺、概算移動距離>6km

天神高速バスターミナル(09時28分始発西鉄バス) → 直方バスセンター(10時39分着終点) → JR直方駅・魁皇像(直方市山部) (*1) → 法薫寺(神正町) tooltip → 長遠寺(日吉町) tooltip → 須崎町公園(須崎町) (*2) → 円徳寺(古町) tooltip → ふるまち通りアーケード(古町) (*3) → セブンイレブン殿町店(殿町/12:30昼食) → 雙林院(殿町) tooltip → 西徳寺(山部) tooltip → 雲心寺(山部) tooltip → 随専寺(山部) tooltip → 東蓮寺(山部) tooltip → 直方市石炭記念館(直方) (*4) → 善勝寺(新町) tooltip → 長崎街道・旧日若酒造(新町) (*5) → 観音寺(丸山町) tooltip → ふるまち通りアーケード(古町/菓舗四宮・成金饅頭) (*6) → 須崎町商店街アーケード(須崎町) (*7) → 東筑軒(JR直方駅内/かしわうどん) (*8) → 直方バスセンター(17時30分始発西鉄バス) → 天神高速バスターミナル(18時39分着終点) → 帰途


補足

  1. JR直方駅・魁皇像 (直方市山部226-2)
    かつて石炭の集荷・輸送の中核であった直方駅の東側スペースには「魁皇像」がある(平成26年10月建立)。
    銅像足元の建立趣意書には次のような記載がある。

    大関魁皇(現:浅香山親方)は、昭和47年(1972)7月直方市に生まれ、直方第二中学校卒業後、大相撲に入門した。昭和63年(1986)3月場所の初土俵において一番出世を果たし、平成12年5月場所で初優勝、同年7月大関に昇進した。

    23年を超える現役時代、度重なる怪我による満身創痍の体で土俵に立ち続け、幕内優勝5回をはじめ、史上最多となる通算勝利数1047勝のほか数々の金字塔を打ち立てたことは、私たち直方市民の大きな誇りである。

    ひたむきに土俵に立ち続ける勝負師としての姿と、土俵の外で見せる温厚篤実な性格は、多くの人を魅了し、手拍子とともに沸き起こる魁皇コールが地元九州場所だけでなく各場所の場内に響き渡った。大関魁皇の記憶に残る勇姿と素晴らしい記録は広く国民に感動を与え、内閣総理大臣顕彰、福岡県県民栄誉賞、直方市市民栄誉賞が授与された。

    大関在位65場所目となる平成23年7月場所中に現役を引退し、年寄浅香山を襲名した。引退を機に、地道な鍛錬と不屈の精神力により、数々の前人未到の記録を築き、私たちに感動と勇気を与えてくれた魁皇関の功績を顕彰してほしいとの声を受け、直方市民をはじめ、全国の魁皇ファンの皆様から多くのご賛同とご支援を賜り、大関魁皇銅像を建立した。

    大関魁皇を輩出した直方から、魁皇関のように強くたくましい子どもたちが育つことを願っている。

  2. 須崎町公園 (直方市須崎町94-1)
    当地は、寛永元年(1624)初代直方藩主黒田高政公が藩中地割のとき、寺地を寄進され鞍手郡植木村より円徳寺をこの地に移したのが始まりである。爾来数度の再建を経て約400年の間、円徳寺は直方の人々に仏法を施し今日に至っている。
    明治40年(1907)貝島炭鉱創始者貝島太助翁兄弟の発起により、建築界の巨匠・帝室技芸員伊藤平衛門の手によって明治42年現在の本堂が建立された。
    その後昭和28年(1953)、直方市都市計画により、本堂並びに諸堂宇は道南側の現所在地に移転され、その跡に駅前大通りと当須崎町公園が誕生した。(公園内の「須崎町公園縁起」の石碑より)
    須崎町公園の様子は、【私の直方の風景・林芙美子と直方について】【直方市HP/市政情報/須崎町公園】で、ご覧になれます。
  3. ふるまち通りアーケード (直方市古町)
    アーケードの南側出口付近には「アートスペース谷尾(古町10-20、094922-0038)」がある。 旧十七銀行直方支店として大正初期に建設され、現在は直方市美術館別館(通称:アートスペース谷尾)として、ガラス工芸品を主に展示している。重厚感のある外壁は、一見、レンガに見えるが、実はタイル張り。窓台に施された花崗岩がアクセントになっている。東京駅を設計した辰野金吾氏に由来する、辰野式の赤茶色と白色のコントラストが街並みに映え、今もなお地域のランドマークとして親しまれている。(国登録有形文化財)(観光パンフ『「お」のつくのおがた・直方NOGATA』より)
    アーケードの様子は、【アーケード商店街の写真館・古町通り商店街】【アーケード商店街の写真館・殿町商店街】でご覧になれます。
  4. 直方市石炭記念館 (直方市直方692-4、0949-25-2243)
    • 本館:明治43年(1910)に炭鉱経営者で組織された筑豊石炭鉱業組合直方会議所として建てられ、筑豊の炭鉱史ともいうべき麻生・安川・伊藤など炭鉱王が名を連ねる議事録や坑内の模型など炭鉱の歴史を伝える建物で、直方市の文化財に指定されている。
    • 別館:平成2年に木造平屋建てから鉄骨2階建てに建て替えられた。中には日本最大級の石炭塊や筑豊最初の人力車・模擬採炭切り羽の模型などが展示されている。
    • 石炭化学館:石炭は燃料としてだけでなく、製鉄や様々な化学薬品などが出来ることを分かりやすく解説した資料館で、新日鉄住金㈱の寄贈によるタール工場・石炭酸工場・ベンゾール工場等の模型を陳列している。
    • 坑外用電気機関車(屋外展示):鯰田炭鉱坑外運搬車として、各坑口と選炭場間を走っていた。明治の末期に輸入し、人車には家族も乗せて走っていたので住民にも親しまれていた。
    • 救護練習坑道(屋外設備):ガス爆発や落盤などの炭鉱災害の際には救護隊が編成され救護に携わっていた。九州炭坑救護隊連盟直方救護練習所として実戦即応の救命器具を使用した救護隊員の訓練施設で、大正11年(1922)に作られたものである(昭和43年に閉所)。
    • 坑内炭坑機械屋外展示場:炭坑の斜坑内を鉱員たちを乗せて採炭現場まで運んだ人車や石炭掘削機械ロードヘッター・ドラムカッター・自走枠など、実際に坑内で活躍した大型機械を展示している。
  5. 長崎街道・旧日若酒造 (直方市新町3-5-30)
    長崎街道沿いにある旧日若酒造は煉瓦が美しい建造物である。かなり大きな造り酒屋であったことが分かる。灰色の屋根瓦と白塀に煉瓦の赤色が映える。木の格子窓と腰壁の白色のタイル使いがすっきりとしており、造り酒屋らしい印象である。煉瓦の積み方は入口の左右で異なる。向かって左側は煉瓦の短辺を積み上げた小口積みで、右側は長辺を積み上げた長手積みである。近くにある嘉麻川橋梁も120年以上前の煉瓦建造物である。道西向かいは、長崎街道尾崎口御門跡である(解説板あり)。(観光パンフ『「お」のつくのおがた・直方NOGATA』より)
  6. 成金饅頭 (直方市古町5)
    石炭産業が栄えていた明治の末、直方である人が日露戦争に乗じた豆の投機に失敗し、余った大量のうずら豆の処分に困っていた。 そこで餡をたくさん使った饅頭にして売ったのが成金饅頭の始まりと言われている。 石炭景気に沸く筑豊で生まれた豪快な饅頭は、直方の炭鉱王・貝島太助もお気に入りだったという。成金饅頭の名付け親は貝島太助という説もあるほどである。 「ひとりで儲けようとは思わん」と、最初の考案者が商標登録をしなかったため、多くの店が作るようになり、直方の郷土銘菓として広まった。100年を超えた今も地元で愛され続けている。(観光パンフ『「お」のつくのおがた・直方NOGATA』より)
  7. 須崎町商店街アーケード (直方市須崎町)
    古いアーケード商店街で、残念ながらシャッター街と化していました。 アーケードの様子は、【アーケード商店街の写真館・須崎町商店街】で、ご覧になれます。
  8. 東筑軒 (JR直方駅内)
    やはりこの地域の駅構内うどんといえば、なんと言っても「東筑軒ウィキペディア参照)」の「かしわうどん」ですね。
    東筑軒の「かしわうどん」も好きですが「かしわ弁当」もいけます。我が家全員大ファンです。 我が家ではもっぱら、JR折尾駅・黒崎駅でいただいています。(笑・作者より)