JR佐賀駅南側西部(2017-03-04)・・・佐賀県佐賀市
概要
佐賀市中心部には、これまで3回延べ9年住んでいましたが、これほど多くの寺院があるとは当時は気付いていませんでした。
土地柄からか、佐賀の人たちはやさしく、各所で丁寧なご対応をいただきました。天候と合わせ気持ちのいい寺院散策をすることができました。
それぞれのお寺のページに当日伊藤氏が訪問したときの伊藤氏メモを掲載しています。 こちらもお見逃しなく。(作者)
参拝ルートの地図はこちら。
順路 参拝(登録済):37ケ寺、概算移動距離>13km
JR博多(7時54分始発特急)
JR佐賀(8時32分着)
(*1)
弘法寺(佐賀市神野東)
どんどんどんの森(天神)
(*2)
宗智寺(多布施)
西峰院(多布施)
福王寺(多布施)
圓蔵院(多布施)
蓮生寺(伊勢町)
大覚寺(伊勢町)
大運寺(伊勢町)
妙覚寺(伊勢町)
伊勢神社(伊勢町)
(*3)
本願院(伊勢町)
天徳寺(伊勢町)
真覚寺(伊勢町)
コンビニ(11時40分~昼飯/イートイン)
本行寺(西田代)
天祐寺(多布施)
世尊寺(天祐)
(*4)
築地反射炉跡(長瀬町)
(*5)
西念寺(長瀬町)
泰教寺(長瀬町)
専修寺(道祖元町)
照光寺(長瀬町)
[ノコギリ状の街道]
(*6)
龍雲寺(八戸)
八戸地蔵菩薩(八戸)
(*7)
地蔵院(八戸)
長安寺(八戸)
天福院(新栄西)
長崎街道・高橋(八戸~嘉瀬町)
(*8)
苗運寺(嘉瀬町)
高橋餅本舗・福屋(嘉瀬町)
(*9)
普門寺(下田町)
東光寺(本庄町)
龍泰寺(赤松町)
善定寺(与賀町)
水月寺(精町)
泰長院(精町)
山口亮一旧宅(与賀町)
(*10)
賀昌院(与賀町)
浄土寺(与賀町)
与賀神社(与賀町)
(*11)
延命院(与賀町)
光照寺(与賀町)
妙安寺(川原町)
龍造寺八幡宮(白山)
(*12)
龍造寺[高寺](白山)
鏡円寺(唐人)
聖衆院(天神/17時15分)
JR佐賀(17時25分駅到着/17時53分発特急)
JR博多(18分35分着終点)
帰途
補足
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JR佐賀駅 (佐賀市駅前中央1-11-10、0952-24-4029)
1・2番線ホームでは「旅立ち恵比寿」がお出迎え(お見送り)してくれます。
九州:佐賀の「恵比須八十八ヶ所巡り」、佐賀駅では「旅立ち恵比須」がホームに - 旅のブログをご覧ください。 -
どんどんどんの森 (佐賀市天神3-2-11)
大正5年(1916)に発祥し、昭和62年(1987)に閉鎖された、大和紡績佐賀工場の跡地である。広大な敷地東北端の当時の守衛・通用門付近には、旧工場の概要説明板があるとともに、工場で働いてきた工女を模した織姫像が立っており、工場の名残が漂っている。また、敷地東側の南北の通りは「紡績通り」の名称がそのまま残っている。
現在では、都市緑地として整備が進展しており、公共施設(市立図書館・アバンセなど)・企業用地(佐賀新聞本社・佐賀シティビジョン本社など)・緑地(ふれあい広場)・空き地から成っている。道路標示などでは、「どん3の森」という表記も使われている。 -
伊勢神社 (佐賀市伊勢町9-8、0952-23-4221)
伊勢神社は、天文11年(1542)伊勢神宮から神埼の田手に分霊を勧請したのが始まりで、永禄8年(1565)に 鍋島町蛎久へ遷座された後、天正19年(1591)に佐賀城下町の建設に伴い、鍋島直茂によって現在地へ遷座された。日本で唯一存在する伊勢神宮の分社である。
境内は、旧長崎街道が矩折れとなった角地に位置し、街道筋の正面に鳥居と楼門が東を正面として建っている。 鳥居は石造の肥前鳥居で、慶長12年(1607)の刻銘があり、市の重要文化財に指定されている。 楼門は一間一戸の四脚門。南を正面として建つ本殿と拝殿は、昭和15年(1940)に改築されたもので、本殿は伊勢神宮の形式を取り入れた神明造である。境内にはユーモアあふれる一対の石造肥前狛犬がある。(「佐賀市HP/佐賀市都市景観重要建築物等」などより)
肥前鳥居・楼門・石造肥前狛犬・本殿神明造の写真、及び日本で唯一、佐賀に分社が出来た理由は、【佐賀ポータル/HP】でご覧ください。
また、境内には、早咲きの「河津桜」があり、この時期でも既に満開状態でした。 -
大雄山世尊寺 日蓮正宗(〒840-0851佐賀県佐賀市天祐1-3-20)
平屋集会所形式の本堂の脇にはソテツと小竹林、本堂横に沿っては10mほどの大きな藤棚がある。 -
築地反射炉跡 (佐賀市長瀬町9-15)
日新小学校の校庭にある。築地反射炉は佐賀藩10代藩主、鍋島直正が造らせた日本初の実用反射炉である。
反射炉とは、燃料の熱を壁や天井の面で反射させて炉内の温度を上げ、鉄や銅などの金属を溶かす溶解炉であり、その完成により、日本でも鉄製大砲の鋳造が可能となった。
はじめは鉄の溶解がうまくいかず失敗続きであったが、手引書となったオランダの『ロイク国立鉄製大砲鋳造所における鋳造法』を翻訳した伊東玄朴らをはじめ、直正が育てた蘭学者たちの新しい知識、刀工や鋳物師らの伝統技術を結集した結果、嘉永5年(1852)には良好な溶鉄が得られるようになった。
日本で最初に反射炉で鉄製大砲を鋳造した意義は大きく、日本の近代産業化へのシンボルとも呼べるものである。(「佐賀市HP/佐賀市の歴史遺産」より) -
ノコギリ状の街道
佐賀城下[長崎街道]をご覧ください。 -
八戸地蔵菩薩 (佐賀市八戸1丁目6番)
佐賀城下[長崎街道]をご覧ください。 -
長崎街道・高橋 (佐賀市八戸2丁目~嘉瀬町大字扇町)
佐賀城下[長崎街道]をご覧ください。 -
高橋餅本舗・福屋 (佐賀市嘉瀬町大字扇町2430、0952-23-8071)
120年前の明治31年(1898)に本庄江川にかかる「高橋」傍に創業した餅・和菓子店。定番の高橋餅(97円)を久しぶりに食しました。美味でした。 高橋餅本舗・福屋をご覧ください。 -
山口亮一旧宅 (佐賀市与賀町1368-1、0952-60-2978)
山口亮一(1880-1967)は、佐賀市精町出身の洋画家。その旧宅である。泰長院の門前に位置する。2月21日~3月12日は「山口亮一旧宅ひなまつり」が開催。
山口亮一旧宅をご覧ください。 -
与賀神社 (佐賀市与賀町2-50、0952-23-6091)
欽明天皇25年(564)に勅願造立された與賀神社(与賀神社)は、鎌倉時代から「與賀御庄鎮守宮」として、室町時代以降は少弐・高木・龍造寺・鍋島氏に與賀郷の崇廟として崇められた。特に鍋島氏は佐賀城の鎮守、産土神社として崇敬し、数々の寄進をした。
境内の西側に入口があり、国の重要文化財である約400年前に造られた肥前鳥居と石造反橋、室町時代後期建立の楼門を通っていくと、その奥に西面して拝殿、本殿が建っている。本殿は五間社流造銅板葺、拝殿は入母屋造銅板葺で正面に唐破風を付している。建築年代は掲げてある棟札から本殿が宝暦8年(1758)、拝殿がその翌年の宝暦9年であることが分かる。
その他境内には樹齢1400年の楠などの古い樹木や、佐賀恵比寿神社や寶壽稲荷神社などの境内社がある。これらが境内に点在する狛犬や石燈籠などの石造物と一体となって、佐賀市の重要な歴史的景観を形成している。(「佐賀市HP/佐賀市景観重要構築物等」より)
境内の様子は、與賀神社(与賀神社)を参照ください。
佐賀城の西「与賀神社」界隈の街並みがレトロでとっても素敵なんです/2017.4.7 | 佐賀ポータルも面白いですよ。 -
龍造寺八幡宮 (佐賀市白山1-3-2、0952-23-6049)
文治3年(1187)龍造寺季家が神殿を創建し、鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)の分霊を勧請して奉安し、龍造寺八幡宮と称して崇拝したのに始まる。
降って、慶長12年(1607)初代藩主鍋島勝茂は佐嘉城築城に際して、これを八幡小路に遷座し、現在の神殿及び拝殿を造営し常夜灯を寄進、藩祖直茂の室・藤の方は肥前鳥居(佐賀市重要文化財)を寄進した。爾後、歴代の藩主は佐賀地方の開府の神・佐嘉城の鎮護・武士の守護神として尊崇し、事あるごとに祈願・報告祭を執行した。現在も、八幡神社の通称で市民に親しまれている。(宮前の解説板より)
境内の様子は、龍造寺八幡宮・楠神社(佐賀市)|ハニーちゃんがゆく!を参照ください。