JR荒尾~JR大牟田沿線(2016-05-14)・・・福岡県大牟田市・熊本県荒尾市
概要
5月14日(2016年)は、JR荒尾駅~JR大牟田駅沿線を歩いてきました。両市とも寺院の多い所で、寺町があったわけではありませんでしたが、かなりの数の寺院をめぐることができました。
今回のコースは、典型的な街中型で、田園地帯は全くなく、アップダウンもなく、とはいえコンビニは随所にあるというコースでした。また、かつての三池炭鉱の歴史を感じることもできました。
この地区の寺院特徴は、真宗木辺派の寺院が多いということです。木辺派の寺院数は少なく、全国でも300寺院程度。そのうちの1割弱・約20寺院が荒尾・大牟田地区に集中しているということでした。
それぞれのお寺のページに当日伊藤氏が訪問したときの伊藤氏メモを掲載しています。 こちらもお見逃しなく。(作者)
参拝ルートの地図はこちら。
順路 参拝(登録済):35ケ寺、概算移動距離>20km
西鉄薬院(7時02分発特急)
西鉄大牟田(8時05分終点着)・JR大牟田(8時12分発)
JR荒尾(8時16分着)
報恩寺(熊本県荒尾市宮内出目)
金剛寺(宮内出目)
往相寺(荒尾)
泉覚寺(宮内)
光明寺(宮内出目)
浄業寺(宮内出目)
明栄寺(宮内出目)
浄念寺(大平町)
(*1)
不動院(万田)
真興寺(万田)
菩提寺(日の出町)
専行寺(大島町)
三池炭鉱専用鉄道敷跡(大島町)
(*2)
キッチンよつやま(四ツ山町/11時15分~昼飯)
(*3)
泰正寺(四ツ山町)
浄信寺(福岡県大牟田市三里町)
恵弘寺(南船津町)
(*4)
勝光寺(三川町)
一心寺(姫島町)
護福寺(三川町)
大法寺(天領町)
正見寺(諏訪町)
浄教寺(天領町)
(*5)
法恵寺(天領町)
(*6)
光明寺(三川町)
三池炭鉱三川坑跡・旧三井港倶楽部(西港町)
(*7)
真勝寺(諏訪町)
(*8)
妙晃寺(白金町)
正覚寺(白金町)
東円寺(本町)
観音寺(原山町)
金仙寺(笹林)
成菩提寺(一浦町)
真導寺(真道寺町)
光源寺(宮山町)
西念寺(西宮浦町)
真光寺(上官町)
本願寺大牟田別院(上町)
円福寺(左古町)
浄心院(曙町)
報恩寺(有明町)
蓮心寺(久保田町)
立正寺(浜田町)
(*9)
光円寺(浜田町/17時55分)
西鉄大牟田(18時10分駅着/18時22分始発特急)
西鉄薬院(19時20分着)
帰途
補足
-
浄念寺 真宗興正派(〒864-0005熊本県荒尾市大平町1-16、0968-0533)○本HP記載なし○
元々は、現:大正町1丁目の肥後銀行の場所あたりに寺院を構えていたが、空襲で焼失し現在地に。現在は、道に面した住宅形式の造りとなっている。現第3世。 -
三池炭鉱専用鉄道敷跡 ダイレックス荒尾店(大島町3丁目430-1)の北側の送電鉄塔のあるあたり。
R389と交差する形で三池炭鉱専用鉄道敷跡の一部を見ることができる。この専用鉄道は、石炭や炭鉱資材・鉱夫などを運んでいたもの。明治33年(1900)に七浦坑~宮原坑~万田坑が開通。明治38年(1905)、三池港まで全線開通。最盛期には総延長150kmにも及んだ。現在でも、切土や盛土、鉄道橋などで、線路跡をたどることができる。 -
キッチンよつやま (四ツ山町2-11-4、0968-64-2080、四ツ山バス停南側)
味よし・ボリューム満点の上、定食の注文ならご飯・みそ汁はおかわり自由。さらに、ハヤシカレーのルーも自由に食せる。また、高菜の中でも最高級品を使っているという瀬高町松木食品の三池高菜もおかわり自由。曜日・時間帯によっては行列が出来るというのもうなづける。 -
恵弘寺 真言宗大覚寺派、龍王山恵弘寺(〒836-0075大牟田市南船津町2-2-12、0944-53-3420)○本HP記載なし○
昭和30年代の創建。現第1世。山ノ上権現の像があるのが珍しい。観音像・三宝荒神・狛犬なども並んでいる。 -
浄教寺 真宗木辺派(〒836-0054福岡県大牟田市天領町2-17、0944-53-6342)○本HP記載なし○
現第3世。創建当時から現在地にある。大きな住宅形式の造りも、道向かいにはクリーム色3階建て近代的造りの納骨堂がある。 -
法恵寺 日蓮正宗:無上山法恵寺(〒836-0054福岡県大牟田市天領町1-233、0944-52-5739)●本HP記載なし●
昭和37年の開山。現第3世。住宅地の中にある。広くはないが、きっちりまとまった感のする寺院。 -
三池炭鉱三川坑跡・旧三井港倶楽部 三川坑跡は、土曜・日曜・祝日の10時~17時見学可。ボランティアガイドの説明もある。以下、パンフレットなどより。
「昭和8年(1933)当時の三池炭鉱は、宮浦・万田・四山の3坑体制で年産227万トン、三井鉱山出炭の半ばを占めていた。しかし、宮浦・万田の両坑は既に老境に入り、四山坑も開坑以来14年を経過しており、深部採掘に移行していたため、坑内温度の上昇やガス発生に悩まされ、増産への対応が困難であった。
そこで、さらに西方海面下を採掘するため、新坑開発として三川坑が計画された。大牟田市西港町から有明海の海底下に向かって傾斜角11度、長さ2000mの斜坑2本を開削。深度350mのレベルを基準坑底として四山坑とも連絡させた。
こうして、三川坑は、昭和12年(1937)から斜坑の採掘を開始。三池の出炭は、昭和19年度には403万トンに達し、戦前の最高出炭量を記録した。
戦後も。三井鉱山の最主力坑として活躍。昭和24年(1949)には昭和天皇のご入坑が行われたが、平成9年(1997)3月に三池炭鉱閉山とともに、閉坑した。
この間、昭和34年(1959)、35年にわたっては、戦後最大の労働争議があり、60年安保闘争と結びついて、「総資本対総労働」の対決という形で全国の目が三池に注がれた。その後、組合側と会社側が中労委に事態の解決を一任し、労働争議は収束した。
また、昭和38年(1963)11月9日に炭塵爆発事故が発生。死者458名、重傷者675名、CO中毒患者839名を出す、戦後最大の労働災害となった。」
「旧三井港倶楽部(西港町2-6)は、明治41年(1908)の竣工。三池港を利用して訪れる高級船員の休息所や政財界の社交場として使用された。ハーフチンバー風に木骨を見せているのが特徴。現在は、レストランや結婚式場として活用されている。」 -
真勝寺 真宗大谷派(〒836-0051福岡県大牟田市諏訪町1-82、0944-53-0758)○本HP記載なし○
元々は説教所としてあった所。柳川市新町の真勝寺(初代柳川藩主田中吉政の墓碑が本堂床下にあることで有名)から、分家してきたもの。現初代。細い道を入っていくと住宅風の造りがある。 -
立正寺 法華宗本門流(〒836-0026福岡県大牟田市浜田町26-3)○本HP記載なし○
住宅形式で玄関に「法華宗立正寺」の木看板。建屋左側には、お題目の書かれた大きな石碑が立っている。