北九州市八幡東区東部(2019-03-16)・・・福岡県北九州市八幡東区 

概要

  • 本堂 2012-06-09
    本堂 2012-06-09
    阿弥陀院[真言宗醍醐派]北九州市八幡東区高見5-1-32

この地域は沿岸部に近く、元は人家も少ないところであったが、明治34年1901に官営八幡製鉄所が建設され操業が始まる頃から人口が増加し、以後各派寺院の進出をみるようになった。ただし、丘陵部が多いこともあって、十分な境内域を確保できる平坦地があまりなく、寺院設立用地は傾斜地などに手狭なまま確保されることも多かったようである。

このような歴史的経緯から、当地区の寺院は大正期の創建(現住職世代は第3世~第4世)が多く、傾斜地に位置するなどして小規模なものがよく見受けられる。

ということで、当日は住宅地の中の上り下りの経路(階段)多々で足腰がしっかりと鍛えられました。やや急坂なところもあり、熱中症が懸念される時期には避けた方が無難なコースといえます。

本日のコースでの見どころという点では、金剛寺阿弥陀院がかなりお勧めです。ぜひ一度ご訪問あれです。

「♫のぼるのぼるよ 八幡はのぼる 山の上までが建つ♪」アップダウンの激しい難コース。お疲れ様でした。(作者より)

徳養寺の建つ山王付近に作者は生まれて3年ほど住んでいました。坂の途中に我が家があり、おぼろげながら家と周辺の映像を覚えています。今となってはその場所も特定できませんが。。。懐かしく拝見しました。(作者より)

それぞれのお寺のページに当日伊藤氏が訪問したときの伊藤氏メモを掲載しています。 こちらもお見逃しなく。(作者)

地図はこちら

順路 参拝(登録済):30ケ寺、概算移動距離>9km

JR博多(08時02分始発特急) → JR黒崎(08時42分着/08時50分発) → JR枝光(08時57分着) → 宝塔寺(八幡東区枝光) tooltip → 錦照寺(枝光) tooltip → 妙貫寺(枝光) tooltip → 望玄坂(枝光) (*1) → 常薫寺(宮田町) tooltip → 善照寺(大宮町) tooltip → 金剛寺(大宮町) tooltip → 信行寺(白川町) tooltip → 善光寺(日の出) tooltip → 大師寺(山王) tooltip → 敬行寺(上本町) tooltip → 徳養寺(山王) tooltip → 大徳寺(大蔵) tooltip → 明教寺(末広町) tooltip → 桂昌寺(末広町) tooltip → ミニストップ八幡大蔵店(大蔵/13時10分~イートイン昼食) → 明遵寺(羽衣町) tooltip → 光明寺(祝町) tooltip → 報国寺(祝町) tooltip → 本光寺(中尾) tooltip → 不動寺(清田) tooltip → 福宝寺(清田) tooltip → 宮の町薬師堂(宮の町) tooltip → 慈光寺(宮の町) tooltip → 妙経寺(石坪町) tooltip → 延命院(石坪町) tooltip → 極楽寺(昭和) tooltip → 明専寺(昭和) tooltip → 観世音寺(高見) tooltip → 製鐵寺(高見) tooltip → 永明寺(川淵町) tooltip → 国境石[従是西筑前国](高見) (*2) → 阿弥陀院(高見/17時20分) tooltip → 西鉄バス美術館口(17時25分バス停到着/17時36分発) → 戸畑駅(17時55分着)・JR戸畑(18時18分発快速) → JR黒崎(18時26分着/18時33分発特急) → JR博多(19時12分着終点) → 帰途


補足

  1. 望玄坂 (八幡東区枝光3丁目12番)

    新日鐵住金の八幡地区と戸畑地区を結ぶ専用鉄道くろがね線の宮田山トンネルの直上は一直線の坂道になっており、望玄坂と名付けられ整備されている。この坂の頂上からは洞海湾が一望でき、船舶も見える。坂の頂上部には九州国際大学付属高校(枝光5丁目)があり、坂の下にあるJR枝光駅からの通学路としても利用されている。

    望玄坂の様子は、#望玄坂 - Hash Tags - Deskgram#望玄坂 hashtag on Instagram - Insta Stalkerで、ご覧になれます。

  2. 国境石[従是西筑前国] (八幡東区高見3丁目4番)

    国境石の脇にある案内板に以下のように記載されている。

    古くから北九州地域は、そのほぼ中央から東が豊前、西が筑前に二分されていた。 その国境線には、小倉藩と福岡藩によって建てられた国境石が多数あった。現在13基が残っている。

    阿弥陀院の下にあるこの国境石には従是西筑前国(これよりにしちくぜんのくに)と刻まれており、福岡藩が建てたものである。元々、道を挟んだ向かい側の阿弥陀院寄りに立っていたが、昭和28年1953に起きた崖崩れのため現在地に移設されたものである。