熊本城南側(熊本市中央区)(2018-08-26)・・・熊本県熊本市中央区 

概要

8月26日(2018年)に熊本城南側(熊本市中央区)を歩いてきました。夏の盛りであり、熱中症には十分注意し適宜休憩を入れたゆっくりとしたお寺巡りでした。前日に熊本市内で所用があり、当日福岡へ戻る前に市内お寺巡りをしたものです。

熊本城南側(古町地区)は、[一町一寺(いっちょういちじ)]の制により寺院がまんべんなく配置されており、これまでのなかで最も効率的に各寺を 廻ることができました。

とはいえ、寺院に関しては熊本地震(2016年)の影響がいまだ色濃く残っており、鉄筋コンクリート造でなかった寺院のほとんどは、新築再建中・補修改修中・補修改修手つかずなどの状況でした。建物自体が古く耐震性が脆弱なことから被害が大きく出たことや、檀家との調整などもあり早々には復興に着手できなかったなどの事情があったものと思われます。

※ [一町一寺]:以下は、ポータルサイト[くまもと歴町探訪/No31/清正公が作った熊本城を守る一町一寺の街並み]などによる。

熊本市の熊本城南側(古町地区)は加藤清正により作られた城下町で、細工町・呉服町・鍛冶屋町など職名を冠した町名が付けられ、物資流通の動脈である坪井川を利用した町並みは、新町と並ぶ熊本の商業の中心地として賑わった。
この地区は、白川と侍屋敷に取り囲まれた独立した町として入口が限定されていた。また、一辺120mの碁盤目状に町割りされた区画ごとに寺院が配置され(一町一寺制)、その寺院を中心に町屋が立ち並んでいた。この町作りには、軍事的・戦略的な側面が強かったようである。
現存する江戸期の町名や、明治・大正期の歴史的な建造物に代表される伝統的な地割や町屋が、城下町にふさわしい景観を今に伝えている。
・現存する江戸期の町名(五福小学校区):米屋町・呉服町・細工町・小沢町・中唐人町・西唐人町・鍛冶屋町・魚屋町・板屋町・万町・古大工町・紺屋阿弥陀寺町・東阿弥陀寺町・西阿弥陀寺町・古桶屋町・川端町

それぞれのお寺のページに当日伊藤氏が訪問したときの伊藤氏メモを掲載しています。 こちらもお見逃しなく。(作者)

地図はこちら

順路 参拝(登録済):33ケ寺、概算移動距離>5km

宿所(熊本市中央区下通/熊本ワシントンホテルプラザ 09時20分発) → 西岸寺(下通) → 泰巌寺(下通) → 源覚寺(船場町) → 正法院(上鍛冶屋町) → 順正寺(河原町) → 光岸寺(河原町) → 妙乗寺(河原町) → 延寿寺(河原町) → 寿宝寺(河原町) → 法蓮寺(松原町) → 成満寺(万町) → 正覚寺(万町) → 専立寺(魚屋町) → 善教寺(東阿弥陀寺町) → 普賢寺(古桶屋町) → 西流寺(西阿弥陀寺町) → 教厳寺(西阿弥陀寺町) → 宗禪寺(細工町) → 阿弥陀寺(細工町) → 浄影寺(細工町) → 西顕寺(細工町) → 西光寺(細工町) → 明教寺(細工町) → セブンイレブン熊本細工町店(細工町/イートイン昼飯) → 正龍寺(魚屋町) → 松音寺(小沢町) → 法蓮寺(小沢町) → 聖光寺(小沢町) → 西福寺(小沢町) → 心光寺(西唐人町) → 薩摩街道新三丁目御門跡/城下町の水(西唐人町) (*1) → 順徳寺(新町) → 高麗門跡(新町) (*2) → 長光寺(新町) → 正妙寺(新町) → 正念寺(新町/14時20分) → 船場橋(新町・船場町下) (*3) → 宿所(14時35分着) → 帰途


補足

  1. 薩摩街道新三丁目御門跡/城下町の水 (熊本市中央区西唐人町)

    アーチ石橋である明八橋(めいはちはし)の南側たもとに小さな人工池のようなものがあり、[城下町の水]と題された案内表示板に次のような説明がある。

    熊本市は、水道水源を100%地下水でまかなう日本最大かつ世界でも数少ない都市で、蛇口をひねればおいしい天然水の出る暮らしがある。 この清らかで豊かな地下水の秘密は、世界有数のカルデラ・阿蘇山や、加藤清正などの先人が築いた水田・森林が大きく関係している。 長い年月をかけて多くの水が、先人達が築いた水田・森林に浸透し、阿蘇山の噴火により生成された幾重にも重なった地層の天然フィルターを通して磨かれ、現在の熊本の地下水の源となっている。

    また、市内には数多くの湧き水が存在しており、平成20年には[水前寺江津湖湧水群][金峰山湧水群]の2箇所が環境省の[平成の名水百選]に選ばれている。 

  2. 高麗門跡(こうらいもんあと) (熊本市中央区新町4丁目6番)

    高麗門之跡と刻字された石碑が立ち、傍の案内表示板に次のような説明がある。

    高麗門は、慶長3年1598加藤清正が熊本城西南・花岡山方面の侵入から城下町を守るため築いた、冠木門(かぶきもん)に高麗様式の控え門を加えた関所門であった。 門の構造は、城郭と同じ櫓門(やぐらもん)という造りで、番所と常夜灯が置かれていた。門の前には兵士が集まる勢屯(せいだまり)と呼ばれる桝形広場があり、厳重に警戒されていた。 また、旧隈本城主の城親賢(じょうちかまさ)がこの地から始めた[高麗門の市]は、現在も[くまもと春の植木市]として続き、熊本の春を告げる風物詩として市民に親しまれている。 

  3. 船場橋(せんばばし)  (熊本市中央区新町2丁目・船場下1丁目)

    坪井川にかかり、新町と船場町下を結ぶ橋である。橋の東側親柱(橋の欄干の端にある柱)の上にタヌキの像が載っている。

    橋西側にある案内表示板に次のような説明がある。

    このあたりは、昔、坪井川の船着場であったため船場と呼ばれ、川の名まで船場川とも呼ばれていた。 大正頃まで木橋であったが、昭和4年1929に市電段山線が敷設されるとき鉄筋コンクリート橋になった。

    肥後手まり唄の、[♪♪ せんば山にはタヌキがおってさ~♪♪] のせんば山は、当時あった右岸に連なる小高い繁みであったといわれる。この橋の両たもとには、唄にちなんで、エビとタヌキをあしらった橋柱灯が設けられている。