芦屋町・遠賀町北部(2016-02-11)・・・福岡県遠賀郡芦屋町・遠賀町 

概要

建国記念日の休日(2016年2月11日)に、JR遠賀川駅の北側、芦屋町・遠賀町北部に行ってきました。 芦屋釜芦屋役者で一世を風靡したという歴史を感じることもできた、いい散策となりました。

それぞれのお寺のページに当日伊藤氏が訪問したときの伊藤氏メモを掲載しています。 こちらもお見逃しなく。(作者)

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順路 参拝(登録済):18ケ寺、概算移動距離>19km

JR博多(9時02分発特急) → JR折尾乗換え(9時31分着・9時37分発) → JR遠賀川(9時42分着) → 芦屋タウンバス・遠賀川駅前(9時50分発) → 芦屋タウンバス・洞山入口(10時15分着) → 金剛寺清浄院(遠賀郡芦屋町山鹿) (*1) → 芦屋歴史の里(芦屋町山鹿) (*2) → 善福寺(芦屋町山鹿) → 芦屋釜の里(芦屋町山鹿) (*3) → 法輪寺(芦屋町山鹿) → 大願寺(芦屋町山鹿) → 善慶院観音堂(芦屋町山鹿) → 安楽寺(芦屋町山鹿) → [芦屋橋] → 光明寺(芦屋町西浜町) → 横町の地蔵堂(芦屋町西浜町) → 観音寺(芦屋町西浜町) → 金台寺(芦屋町西浜町) → 和楽園(芦屋町西浜町/13時10分~昼飯) (*4) → 海雲寺跡・豪潮庵地蔵堂(芦屋町中ノ浜) → 安養寺(芦屋町中ノ浜) → 禅寿寺(芦屋町船頭町) → 岡湊神社(芦屋町船頭町) (*5) → 安長寺(芦屋町船頭町) → 高浜町児童公園(芦屋町高浜町) (*6) → 堂塔寺(遠賀町若松) → 栄宗寺(遠賀町若松) → 常楽寺(遠賀町鬼津) → 長岸寺(遠賀町広渡) → [遠賀川駅北] → 行満寺(遠賀町別府/16時55分) → JR遠賀川(17時14分発準快) → JR博多(18時02分着) → 帰途


補足

  1. 泰成院 (芦屋町山鹿、芦屋歴史の里西200m)○本HP掲載なし○
    新しく綺麗な2階建て住宅の玄関脇に大本山金剛寺清浄院と横書きで記された表示板が立っていました。
  2. 芦屋歴史の里 (芦屋町山鹿1200、093-222-2555)
    別の呼び名は芦屋民俗資料館。遠賀川河口の両岸に開けた芦屋は多くの歴史を秘めている。 全国的に有名な山鹿貝塚を筆頭に特色ある遺跡が数多くあり、『万葉集』や『日本書紀』にもその名をとどめ「筑紫の岡津」として知られていた。 中世には時衆や芦屋鋳物師が活躍し、江戸時代には伊万里焼を全国に売り歩く旅行商人も現れ、港町は廻船問屋や商店が連なり「芦屋千軒・関千軒」と称され大いに栄えた。このような芦屋町の奥深い歴史や文化を知ることのできる資料館である。芦屋釜などの美術工芸品も展示されている。また、芦屋町には昔、多くの瓦屋があり、芦屋で作られた瓦は家々やお寺の屋根を飾っていたということで、以前、安楽寺(同町山鹿)で使われていた大きな鬼瓦・しゃちほこ・軒飾りも展示されている。
    なお、1月19日~5月1日は、特別展として「芦屋の役者展」が開催。江戸時代には福岡最大の役者集団となった芦屋役者たち。中世から続いた役者稼業に幕を下ろす明治期までが紹介されている。
  3. 芦屋釜の里 (芦屋町山鹿1558-3、093-223-5881)
    パンフレットの紹介文を次に記します。「筑前国芦屋津金屋(現在の芦屋町中ノ浜)には、南北朝時代頃から江戸時代初期頃にかけて、茶の湯釜や梵鐘、鰐口などの鋳物製品を製作する鋳物師集団がいた。特に、彼らの造る茶の湯釜は芦屋釜と呼ばれ、その端整な形、優雅な文様は、京の貴人たちの間で一世を風靡した。芦屋釜の製作は江戸時代初期頃に途絶えるが、現在でもその評価は高く、茶の湯釜の国指定重要文化財9点のうち、8点までを芦屋釜が占めている。
    芦屋釜の里は、平成7年、芦屋釜の復興を目的として設立された。約3000坪の日本庭園内には、芦屋釜復興工房のほか、資料室・茶屋・抹茶処が点在している。芦屋釜復興工房では、製作が途絶えた芦屋釜を現代に甦らせようと、全国各地に残る芦屋釜の調査・研究を行いながら、芦屋釜復元に取り組んでいる。その先には、妥協を許さぬ作品造りを行った芦屋鋳物師の精神を受け継ぎ、高い技量を持った鋳物師を再び芦屋の地に復活させることを目指している。」
  4. 和楽園 (芦屋町西浜町2-31、093-701-7568、金台寺南側・芦屋橋バス停傍)
    「お茶屋が作ったうどん屋さん」でお茶も併せて販売。「元祖豚肉うどん」ということで、長崎ブランド豚の芳寿豚を用いた豚肉うどん(590円)が人気ナンバーワン。肉汁のしみ出たおつゆがいい味でした。TNCももち浜ストア・FBSめんたいワイド・RKB今日感テレビなどのTV取材もあっている。
  5. 岡湊神社 (芦屋町船頭町12-48、093-223-0216)
    神仏習合の時代には、鶴林山千光院祇園寺ともいった。芦屋歌舞伎は、平安時代に空也上人に随行して芦屋を訪れ、そのまま定住した18人の念仏衆が演じた歌舞伎が起源であるという。念仏衆は初め、西浜町の金台寺(時宗)に属したが、慶長10年1605福岡藩の藩命によって祇園崎(現:芦屋町祇園町)の御茶屋跡に移転、その後、延宝5年1677に千光院の境内に移されて、岡湊神社に属し、江戸時時代中期には歌舞伎などを生業とした。最盛期には五十嵐・雷蔵・勘四郎の3座があり、明治時代中頃まで栄えた。(以上、『福岡県の歴史散歩』 より)
    神社道北東向かいの岡湊神社宮司家の屋敷内には、寛永14年1638天草四郎の島原の乱のおり、黒田藩の将士が原城内にあった蘇鉄を記念のために持ち帰り、出陣した所であるここに移植したとされる大蘇鉄(千光院大蘇鉄)がある。豊後の松屋寺及び泉州堺の妙国寺の蘇鉄と並んで我が国の三大蘇鉄と称されている。県の天然記念物に指定されている。
  6. 高浜町児童公園 (芦屋町高浜町、緑ヶ岡交差点傍):
    公園内には、昭和51年にやってきたD6061蒸気機関車(昭和3年製造)が展示されている。この機関車は今では世界に4両しか残っていないというもの。公園内の案内板の説明を記します。
    「古来、遠賀川の水運によって殷賑を極めた郷土芦屋は、明治中期に筑豊と若松を結ぶ鉄道が開通されると、従来川艜によっていた石炭物資の輸送が鉄道にとって替わり、以来衰微の一途をたどった。大正5年に民営の芦屋鉄道が布設されたが間もなく廃止された。
    戦後、本町に米空軍が駐留するところとなり、昭和23年3月10日に米軍基地の物資輸送のため国鉄芦屋線が開通した。当初は米軍専用であったが、昭和25年2月10日に一般に開放され、以来郷土の足として町民に親しまれてきたが、昭和35年5月31日に廃止されるに至った。この芦屋線は、国鉄遠賀川駅から芦屋駅まで約6.2kmを結び、C28型蒸気機関車が使用されていた。この附近は、旧芦屋駅跡地に当たる。」