神代勝利(くましろかつとし)ゆかりの寺社

  • 神代勝利墓 - 嘉瀬川ダムの畔 2019-06-09
    神代勝利墓 - 嘉瀬川ダムの畔 2019-06-09
    宗源院[曹洞宗]佐賀市大和町大字東山田3200-190

神代勝利ゆかりの寺社のリストです。

舞台は主に佐賀県。時代は戦国時代。

永正8年(1511)神代家元の次男として誕生。

享禄年間(1528-1531)、三瀬山一帯を治めていた三瀬宗利にその剛勇を見出され、山内20ケ山(三瀬村・富士町・大和町など佐賀市の北部・背振)の総大将として三瀬城に入り、その統一を実現。

その後、三瀬城を中核として、山内各地に支城を築いて支配を確立するとともに、龍造寺隆信(1529-1584)と激戦を度々繰り広げた。 永禄7年(1564)居城を畑瀬山に築き、家督を長男永良(ながよし)(27歳)に譲る。 翌年、畑瀬城で永眠した。享年54歳。

参考:神代勝利関連年表

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寺号 ふりがな 所在地 宗派 お勧め 概要 キーワード
 
観音寺跡 観音寺跡の写真 かんのんじあと 佐賀県佐賀市 曹洞宗 [神代勝利][背振千坊]
勝玉神社 勝玉神社の写真 かつたまじんじゃ 佐賀県佐賀市 神道 ☆☆☆ 旧領主神代勝利を祭神として祀り、勝玉大明神と号したのが、この神社の起源である。 [神代勝利][三瀬街道]
 
脚気地蔵 脚気地蔵の写真 かっけじぞう 佐賀県佐賀市 仏教礼拝所 ☆☆☆ 勝利は出陣前には必ず祈願をこめていた。 [神代勝利]
山王社 山王社の写真 さんのうしゃ 佐賀県佐賀市 神道 ★☆☆ 神代勝利嫡男・長良の病気平癒の結願により創建された。 [神代勝利]
円光寺 円光寺の写真 えんこうじ 佐賀県佐賀市 浄土真宗本願寺派 ☆☆☆ 永禄年中(1558-1570)神代勝利はこの寺に寓した。 [神代勝利][背振千坊]
玉里神社 玉里神社の写真 たまりじんじゃ 佐賀県佐賀市 神道 ☆☆☆ 祭神に神代勝利が列せられている。 [イチョウ][キンモクセイ][神代勝利]
松陰寺 松陰寺の写真 しょういんじ 佐賀県佐賀市 曹洞宗 ☆☆☆ [神代家累代の御霊屋]
宗源院 宗源院の写真 そうげんいん 佐賀県佐賀市 曹洞宗 ☆☆☆ 宗源院の旧地は勝利の墓所 [神代勝利]
 
向合い観音 向合い観音の写真 むきあいかんのん 佐賀県佐賀市 仏教礼拝所 ☆☆☆ 永禄5年(1563)、神代勝利が謀反をおこした三養基郡綾部城主(綾部氏)を討ち取った場所。 [神代勝利][三瀬街道]
西淨寺 西淨寺の写真 さいじょうじ 佐賀県佐賀市 浄土真宗本願寺派 ☆☆☆ 神代勝利・長良父子は、筑前・筑後連合軍の来攻を受け退却したが、富士町上無津呂でおびただしい戦死者を出した。信海は、戦没者を一か所に集めて合同葬を営んだ。神代氏は、戦没者菩提のため毎年13石を給付し法要を営んだ。 [神代勝利]
上無津呂淀姫神社 上無津呂淀姫神社の写真 かみむつろよどひめじんじゃ 佐賀県佐賀市 神道 ★☆☆ 栄禄4年(1561)、龍造寺隆信との川上合戦で大敗した勝利は、追っ手を避けながら当社に救いを求めた。 宮司賀村大和守舎種は神代父子を社内に隠し、村民を集めて大祭のまねをし神楽を奏していた。 龍造寺の追ってが来て探索したが発見できず、難を逃れた。 [砥川石工][神代勝利][肥前鳥居]
万福寺 万福寺の写真 まんぷくじ 佐賀県佐賀市 臨済宗南禅寺派 ★☆☆ 神代長良の子千寿丸が手習いに通った寺 [神代勝利]
住吉神社 住吉神社の写真 すみよしじんじゃ 佐賀県佐賀市 神道 神代利元は弟新次郎(勝利)の高い能力を見抜き、神代家相続を譲ることを決意。利元の訴えに神代一門は住吉大明神に参詣し、占いによって、新次郎への相続が決定した。 [神代勝利]
福田寺 福田寺の写真 ふくでんじ 佐賀県小城市 曹洞宗 神代家良(勝利の義孫にあたる)の菩提所 [伊藤氏参拝済][六地蔵塔][坐禅][神代家良]
戒宝寺 戒宝寺の写真 かいほうじ 福岡県糸島市 浄土真宗本願寺派 ☆☆☆ 勝利の孫、神代長吉が創建した。 [伊藤氏参拝済][神代勝利]
名前 ふりがな 所在地 宗派 お勧め 概要 キーワード

神代勝利関連年表

大部分を『神代勝利ゆかりの地ガイドブック』より引用しました。

西暦 和暦 できごと
1511永正8年 神代勝利誕生
1528〜
1531
享禄年間 三瀬の梅渓庵にて剣術修行。(梅渓庵とは梅谷山 円光寺(佐賀市三瀬村藤原)の前身のことと思われる)
三瀬宗利に乞われ山内26ケ山の総大将となる
1537天文6年 嫡男・長良誕生(勝利26歳のとき)
1545天文14年 龍造寺家兼攻め(勝利出陣)
1546天文15年 龍造寺家兼死去(93歳)
遺言で孫(周家)の子を還俗させ相続させる(のちの隆信)
1550天文19年 龍造寺本家を継ぎ、大内義隆より「隆」の字をもらう
1551天文20年 大内義隆、陶晴賢,により殺害される
この機に少弐冬尚は龍造寺隆信を攻める(勝利出陣)
隆信は筑後に逃れる
1553天文22年 隆信、水ケ江城にもどる
八戸の八戸宗暘(やえむねてる)を降伏させ[8月]、蓮池の小田政光攻め[10月]
その後、勢福寺城の江上武種を攻める[11月]
神代は江上を助け龍造寺と戦う
その結果、神代・江上・龍造寺は和睦
1554天文23年 [10月]龍造寺隆信が少弐冬尚を攻める
和睦を理由に神代勝利に出陣協力依頼
1555弘治元年 [2月]饗膳の毒事件
龍造寺隆信が少弐冬尚を攻める(神代は少弐を助ける)
[10月]龍造寺が三反田・小副川の谷口城攻め、勝利は敗れ筑前に逃れる
1557弘治3年 [正月]山内の武士が熊ノ川代官を攻め、勝利は再び山内統治
[9月]神代勝利は龍造寺支配下の春日山城を攻める
[10月]金敷峠の合戦、神代勝利は筑前の小田部紹連を攻める
1561栄禄4年 [9月]神代勝利は川上合戦で敗れ、西肥前の波佐見に逃れる
[12月]山内武士が山内麻那古の代官を襲い、勝利を迎え入れる
1562栄禄5年 龍造寺が鳥羽院城主西川伊予守を使い、勝利父子の殺害を計略するが失敗、その後、隆信は和睦を申し入れ(和睦成立)
1564栄禄7年 勝利(57歳)、居城を畑瀬山に築き、家督を長良(27歳)に譲る
1565栄禄8年 [3月15日]畑瀬城で勝利永眠
[4月]長良の嫡子・千寿丸(11歳)と同妹姫(7歳)天然痘で死亡
龍造寺隆信、千布の城を攻める、長良は筑前に蟄居
[8月]長良、龍造寺の支配に対する旧民の一揆に乗じて山内に戻る
1569栄禄12年 南無堂具留里の合戦で神代長良は大友宗麟を助け、龍造寺と戦う
隆信は籠城困難ということで大友と和睦が成立
1570元亀元年 今山の合戦で龍造寺勢が奇襲攻撃、大将大友親貞(宗麟の弟)を討ち、大友・神代勢は総崩れ[3月]、
大友・神代・龍造寺の和睦が成立[9月]
1574天正2年 隆信は長良に松浦の草野鎮永討伐の助力要請
長良、草野六山を領知する
1576天正4年 神代長良、宇奈貴礼の合戦で筑前の原田了栄と戦う
1579天正7年 鍋島直茂の猶子犬法師丸(7歳)を養子として迎える
1581天正7年 神代長良死去(44歳)、鍋島直茂が家良(犬法師丸)の後見役となる
1584天正12年 島原攻めで龍造寺隆信討死
1586天正14年 神代家良。芦刈に領地替え