仙厓和尚ゆかりのお寺

  • 桜 2011-03-31
    桜 2011-03-31
    聖福寺[臨済宗妙心寺派]福岡市博多区御供所町6-1

仙厓和尚ゆかりのお寺のリストです。

在世期間 寛永3年1750~天保8年1837

博多の臨済宗妙心寺派の聖福寺の元住職で 仏画・書の達人である。博多の庶民との親交も広く、庶民を題材にした絵も多数残っている。

2009-10-12福岡市美術館で開催された「仙厓展(九州大学文学部所蔵中山森彦コレクション)」を 観に行った。禅画なのだが現代の漫画に通じるところもあり鑑賞する人が百人いれば百通りの解釈 ができるような書画が多い。見学に行く前は、書籍・インターネットなどでしか観た事がなかったが、 実際に鑑賞して改めて感心した。ニヤニヤしながら鑑賞できた。

年表七代目市川團十郎のこと仙厓老人六歌仙年表もご覧下さい。

参考:仙厓義梵の書画|画像博多の仙厓さん - 萬盛堂歳時記vol.59

地図はこちら

寺号 ふりがな 所在地 宗派 お勧め 概要 キーワード
瑞泉寺 瑞泉寺の写真 ずいせんじ 島根県大田市 浄土真宗本願寺派 □□□ 仙厓はこの寺に3年間逗留。自身作の画をこの寺に残したという。 [仙厓]
聖福寺 聖福寺の写真 しょうふくじ 福岡県北九州市八幡西区 天台宗 ★★☆ 本堂の正面に掲げられた扁額は仙厓和尚の筆になる。 [フジ][仙厓][帆柱新四国霊場第50番][筑前国中三十三観音霊場第23番札所][聖光上人]
長教寺 長教寺の写真 ちょうきょうじ 福岡県嘉麻市 浄土真宗本願寺派 ★☆☆ 本堂正面の扁額は仙厓和尚筆。 [仙厓][梵鐘]
竈門山寺跡 竈門山寺跡の写真 そうもんさんじあと 福岡県太宰府市 仏教礼拝所 ☆☆☆ この山でたびたび修行をしたという。 [仙厓][伊藤氏参拝済][伝教七薬師第1番][宝満山修験会入峰][柴燈護摩供][紅葉]
真福寺 真福寺の写真 しんぷくじ 福岡県福岡市中央区 浄土真宗本願寺派 ☆☆☆ 本堂の扁額に「扶桑最初禅窟 仙崖」の銘がある。 [仙厓][伊藤氏参拝済]
妙静寺 妙静寺の写真 みょうじょうじ 福岡県福岡市南区 浄土真宗本願寺派 ☆☆☆ 本堂の扁額には「扶桑最初禅窟 仙厓」の銘がある。 [仙厓][伊藤氏参拝済]
正定寺 正定寺の写真 しょうじょうじ 福岡県福岡市博多区 浄土宗 ☆☆☆ 「八丁へ」と刻まれた墓石がある。仙厓和尚の直筆という。 [仙厓][伊藤氏参拝済][博多寺町コース第29番][八丁兵衛の墓碑][石城三十三箇所観音霊場第21番]
東長寺 東長寺の写真 とうちょうじ 福岡県福岡市博多区 真言宗九州教団 ★★☆ 六角堂には仙崖の書画がある。 [九州三十六不動霊場第36番札所][九州二十四地蔵尊霊場第22番札所][九州八十八ヶ所百八霊場第1番札所][五重塔][仙厓][伊藤氏参拝済][博多七観音第7番][博多寺町コース第30番][黒田家代々の墓所][][六角堂ご開帳][千手観音ご開帳][節分大祭][石城三十三箇所観音霊場第7番][石城三十三箇所観音霊場第8番][福岡市新四国霊場第1番]
聖福寺 聖福寺の写真 しょうふくじ 福岡県福岡市博多区 臨済宗妙心寺派 ★★★ 当寺の元住職 [仙厓][伊藤氏参拝済][写経][博多七観音第4番][博多寺町コース第12番][坐禅][寒巌義尹][月堂宗規][栄西][][][石城三十三箇所観音霊場第15番][菩提樹]
幻住庵 幻住庵の写真 げんじゅうあん 福岡県福岡市博多区 臨済宗妙心寺派 ☆☆☆ 隠棲したお寺 [仙厓][伊藤氏参拝済][博多寺町コース第16番][無隠元晦]
妙泉寺 妙泉寺の写真 みょうせんじ 福岡県福岡市城南区 浄土真宗本願寺派 ☆☆☆ おもしろい逸話があります。 [仙厓][伊藤氏参拝済]
妙福寺 妙福寺の写真 みょうふくじ 福岡県福岡市早良区 浄土真宗本願寺派 ★☆☆ 本堂に掛けられている寺号額は仙厓筆 [仙厓][伊藤氏参拝済][妙福寺庭園]
東林寺 東林寺の写真 とうりんじ 福岡県福岡市西区 臨済宗妙心寺派 ★★☆ 方丈には仙厓和尚の書いた本額「初禅天」がある。 [仙厓][伊藤氏参拝済][栄西][杖竹][糸島東部八十八ヶ所霊場第68番]
千早新田地蔵菩薩 千早新田地蔵菩薩の写真 ちはやしんでんじぞうぼさつ 福岡県糸島市 仏教礼拝所 ☆☆☆ 歌碑があります。 [仙厓][伊藤氏参拝済][糸島西部八十八ヶ所霊場第29番]
名前 ふりがな 所在地 宗派 お勧め 概要 キーワード

七代目市川團十郎のこと

博多中洲の先端部分にある中島公園内の東側の片隅(下地図参照)に「七代目市川團十郎博多来演の碑」(十代目 市川■■■銘)と記された石碑がひっそりと立っている。

すぐ脇の電柱に、はかた博物館提供の案内板が貼ってある。 その内容を下に記す。 仙厓の気骨が伝わってくる逸話である。

お江戸では市川ニいちかわにかは知らねども
           みますところは海老えびの面ン玉

江戸の風紀引締で、江戸所払ところばらいになった千両役者市川団十郎(海老蔵)、天保バブル真っ只中の天保5年1834の博多へ。 36日間の興行収入は、〆て2、450両也。

ある日、団十郎は虚白院きょはくいんに仙厓和尚を訪ねたが、生来の狷介不羈けいかいふきが災いし、 和尚の機嫌を損ねて、待ちぼうけを喰わされ、やっと小僧を介してもらった一片の書物が上の狂歌。

ここで、虚白院とは、博多区御供所町にある幻住庵境内の建物。 仙厓が隠栖していた所。

同公園内で少し離れて「旧浜新地はましんち天保5年1734>7世市川団十郎来演 中洲歓楽街発祥」の石碑がある。

仙厓老人六歌仙

仙厓が誰でも訪れる老いの様子を歌った歌を紹介する。自戒の念を込めて・・・。とくに、4、5、6は作者も気をつけよう。

  • 「しわがよる ほくろができる 腰曲がる 頭が禿げる ひげ白くなる」
  • 「手は震う 脚はよろつく 歯はぬける 耳は聞こえず 目はうとくなる」
  • 「身に添うは 頭巾ずきん、襟巻き、杖、眼鏡、湯婆ゆたんぽ温石おんじゃく尿瓶しびん、孫の手」
  • 「聞きたがる 死にともながる 淋しがる 心がひがむ 欲深くなる」
  • 「くどくなる 短気きみじかになる 愚痴になる 出しゃばりたがる 世話やきたがる」
  • 「またしても 同じ話に 子を褒める 達者自慢に 人はいやがる」

年表(推敲中)

西暦和暦年齢記事
1750寛延3年0 (伝)美濃国 伊藤甚八の次男として出生
1760宝暦10年11 美濃市清泰寺空印円虚くういんえんきょ(臨済宗古月派)のもとで得度。法名:義梵
1768明和5年19 行脚の途につき、武蔵国永田(現横浜市南区永田町)の東輝庵(現在は宝林寺に併合)の月船禅慧げっせんぜんね(古月派)の元に入門
1781天明元年32 月船禅慧遷化
1781-1788天明元年-天明8年32-38 唯一の資料であった仙厓作の『行雲流水記』この頃執筆か? 大正期に散逸しほぼ彼の活動内容は不明
1788天明8年38 聖福寺第122世住職盤谷紹適の招きによりに聖福寺入寺
1789天明9年39 聖福寺第123世住職に就任
179849 本山妙心寺からの瑞世之儀(紫衣を受け、本山の住職になる資格を得る儀式)出席の勧めを断る
180051 聖福寺の再興に着手。禅(僧)堂を再興
180253 二度目の瑞世之儀の案内を断る
180455 三度目の瑞世之儀の案内を断りきれず聖福寺にて実施(居成瑞世之儀)
180556 _RUBY(湛元等夷,たんげんとうい)が弟子となる
181162 仙厓は湛元を聖福寺第124世住職に就任させ、 自分は引退
181262 虚白院に移る
1834天保5年85 七代目市川團十郎が虚白院を訪問(上の記事、七代目市川團十郎のことを参照)
1837天保8年 湛元、檀徒からの寄付を集める折、黒田藩家老野村隼人が応じなかった為野村家の位牌を寺外に放り出す。 その為藩から謹慎処分を受ける。同年京都行脚。これが、謹慎中の無断旅行のかどで宗像大島に流罪とされる
1837天保8年88
1851嘉永4年 湛元流罪を赦され、箱崎長性寺に隠棲