heritage 氷上山(ひかみさん) 興隆寺(こうりゅうじ) 天台宗 大内義隆寄進の梵鐘 中国四十九院薬師霊場第26番札所

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〒753-0214 山口県山口市大内氷上5丁目14-426-6   標高:41m 地図 GMAP 083-927-0597 
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歴史

寺伝によれば、推古天皇21年(613)に大内氏始祖・琳聖太子(しんしょうたいし)が創建したと伝えられる。 本尊は釈迦如来。脇士は普賢・文殊菩薩と四天王である。

天長4年(827)11代大内茂村が隆松妙見社をこの地に勧請。大内氏の氏神として厚く崇敬した。 境内には、北辰妙見上宮・下宮をはじめ、本堂、東西2塔、鐘楼、輪蔵、経庫、長日護摩堂、不断如法堂、八幡社、三十番神、山王七社、牛王所、仁王堂、法界門などがあり、10町の参道両側には多数の僧坊が建っていた。

以来、26代盛見・28代教弘によって経が寄進された。 文明18年(1486)29代政弘代、後土御門天皇の直願寺となり「氷川山」の勅額と宣旨を賜る。 天文元年(1532)31代義隆は梵鐘[1]を鋳造し施入。 この間、火災・天災で失われた塔頭は歴代当主によりその都度、再建・修復された。 大内氏滅亡後、毛利市も又当寺・北信妙見社を厚く尊崇し伽藍の再建等、聖域の護持に務めた。

江戸期には一時衰退。行海和尚が時運の復興(中興)した。

明治2年(1869)の神仏分離令、廃仏毀釈運動によって、漸次衰微。 本堂(釈迦堂)は龍福寺へ、東照宮は八坂神社[2]境内の筑山神社として、また、護摩堂は神福寺十一面観音堂へと移築された。

現在は、大内義隆寄進の梵鐘・毛利氏再建の北信妙見社、釈迦三尊像(中興堂安置)が当時の面影をしのぶものとなっている。 (以上 境内の案内板(平成12年3月吉日)より)

ひとくちメモ

未参拝の為、未稿。

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脚注