清水山
東行庵
曹洞宗
梅
桜
紅葉
ツバキ
ツツジ
サザンカ
ハナショウブ
山陽花の寺二十四か寺第8番
歴史
境内の案内板の内容を下に記す。
東行庵
この地は清水山と称し幕末の頃騎兵隊軍監山縣狂介(有朋)は麓に草庵を建て無隣庵と名付けていた。 慶應3年(1867)4月、高杉晋作(東行)の遺言により遺骸を騎兵隊の本拠に近いこの地に葬った。 晋作に仕えていた愛人のうの(後に谷梅処)は黒髪を断って出家したので、山縣は明治2年(1869)無隣庵を梅処に贈り欧州に旅立った。
現在の庵は明治17年伊藤博文・山縣有朋・井上馨等全国諸名士の寄付により建立されたもので、梅処は明治42年にその生涯を閉じるまで東行の菩提を弔った。
昭和41年東行の百年祭を機に庵の原型をとどめるため大修理を行った。
ひとくちメモ
ホームページによれば、境内には四季折々の草花が咲き、訪れる人々を楽しませるようである。