heritage 関亀山(かんきざん) 引接寺(いんじょうじ) 浄土宗 山陽道

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〒750-0004 山口県下関市中之町11-9   標高:11.1m 地図 GMAP 083-222-0575 
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歴史

境内の案内板の内容を下に記す。

下関市指定有形文化財(建造物) 引接寺三門(いんじょうじさんもん)

引接寺は浄土宗寺院。 当所は豊前国黒田村(福岡県京都郡みやこ町勝山黒田)にあったと伝わるが、詳細は不明。

永禄3年(1560)この地の亀山八幡宮の麓に建立され、山号を関亀山(かんきざん)と号す。 慶長3年(1598)小早川隆景の菩提を弔うため、藤堂佐渡守高虎が現在地に広大な堂宇を建立し引接寺を移した。 以後、赤間関の有力町人や長府藩の庇護を受けるとともに、萩藩によって朝鮮通信使の客館としても整備されるなど、寺勢は隆盛を極めた。

また、明治28年(1895)春には、日清講話会議のために来日した李鴻章一行の宿舎となり、李鴻章狙撃事件とも相まって、寺名は国際的にも名高い。

昭和20年(1945)6月29日、引接寺の堂宇の大半は戦禍により消失したが、三門はこれを免れ、往時の様子を伝えている。

この三門は、明和6年(1769)8月に長府藩9代藩主毛利匡満が再建したものである。 また、花崗岩四半敷の基壇は、慶長期の建立時のものと推定されることから、当初の構造様式を踏襲して再建されたものと考えられている。

三門は屋根を本瓦葺きとし、両側に脇門を設け、柱を総円柱とした四脚門の構えであり、門の内部に二手先の組物を使い、鏡天井に龍を彫り込んだ意匠は希少である。

下関教育委員会

江戸末期、門前を通りかかった人が次々に襲われる事件が起きた。犯人は三門の彫刻の龍であり、武士によって龍は退治されたという伝説が残る。三門の龍の胴体はスパッと切られている。(Links②より)

当寺は慶長12年(1607)~文化8年(1811)の12回朝鮮通信使の宿舎として使われた。(Links③より)

参道口は山陽道である。

ひとくちメモ

未参拝の為未稿。

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