玉雲山歸命院
法専寺
浄土宗
享保の大飢饉
歴史
境内の案内板の内容を下に記す。
法専寺
浄土宗。山号玉雲山、領主山内広通の室帰命院が霊誉上人を開山とし、寛文4年(1665)に創建した。
本尊の阿弥陀如来像は、長野善光寺如来をうつしたものといわれ、帰命院が、ある老僧からゆずりうけた秘仏で、 20年ごとに御開帳される。
境内には、享保17年(1732)大飢饉の際の餓死者を供養する餓死魂の碑(千人塚)や六地蔵がある。
この地蔵は幕末のこと、合宿していた騎兵隊の猛者が廃仏思想にかられ、首を切ったので「首切地蔵」とよばれている。
また山手の墓地には、小倉戦争で戦死した阿川四郎、御手洗音五郎、和田十郎などの、騎兵隊士8名の墓がある。
ひとくちメモ
未参拝の為未稿。