霊椿山
大照院
臨済宗南禅寺派
★★☆
万燈会
精進料理
中国観音霊場第20番札所
百八観音霊場第25番札所
萩八十八ヶ所めぐり霊場第1番
萩八十八ヶ所めぐり霊場第2番
長門三十三観音霊場第14番札所
- 住所・電話
- 〒758-0061 山口県萩市大字椿青海4132 標高:21.7m 地図 GMAP 0838-22-2124
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歴史
入場券を購入するともらえるパンフレットによれば以下の通りである。
昔この椿郷には寺の裏山に大樹があり、延暦年間(782-805)この地に月輪山観音寺というお寺があった。 その後建武の頃(1334-1335)鎌倉建長寺の義翁和尚が、この観音寺に来て、大椿山歓喜寺と改め、臨済宗を伝えるが、戦乱の為荒廃。
毛利元就は山陽、山陰の10ヶ国(長門・周防・石見・安芸・備後・備中・出雲・伯耆・因幡・隠岐)を制していたが、 毛利輝元が関ヶ原の戦で西軍についた為、防長2国に押しこめられ、石高も120万石から36万9千石に減らされる。 又城も広島から萩に移される。
萩城は慶長9年(1604)に築城4年間で完成。 以後文久3年(1863)山口に藩庁が移るまで13代の藩主を数える。
輝元は慶長5年(1600)10月10日関ヶ原の乱の責任をとって隠居して、その子の秀就がわずか6才で家督を継ぎ萩藩主初代となる。
萩藩初代藩主秀就は慶安4年(1651)萩城において57才で亡くなる。 天樹院で火葬されたあと歓喜寺に葬られる。 2代藩主綱広は亡父の為に、承応3年(1654)春からこの寺の改築を始め、明暦2年(1656)に完工。 秀就の法号にちなんで、大照院と名づけたが、山号が大椿山大照院では大の字が重なるので、霊椿山大照院とされる。 延享4年(1747)火災にあって全焼し現在の建物は寛延3年(1750)6代藩主宗広が再建したもの。 開山は言如円遵和尚。 中国観音霊場第20番札所。
[国指定重要文化財]
木造赤童子立像(鎌倉末期の作)、 経蔵(宝暦13年(1763)建立)、 鐘楼門(寛延3年(1750)建立)、 庫裏、 本堂、 書院。 境内全体が国指定史跡とされている。
本堂裏手には広大な歴代藩主夫妻の墓所がある。
ひとくちメモ
参道口は、寺の東100mの所にある。山陰本線の踏切を渡って参道に入る。 参道は一直線に寺に向っている。 本堂はあいにく改築中であったが、庫裡・裏手の書院は歴史を感じさせるものとなっている。 毛利家代々の墓所の規模は眼を見張るものがある。 多数の石灯籠があり、その一番奥に歴代城主夫妻の墓碑が並んでいる。
イベント情報(今日から1年間)
○主催者などに事前に確認の上、参加下さい○
日時 | 内容 | 備考 | 状態 |
---|---|---|---|
2023-12-31(日)〜2024-01-01(月) | 除夜の鐘 | 確定 |
写真
工事中の本堂 鐘楼門 - 境内から撮影 鐘楼門の扁額 書院 工事中の本堂 庫裡から本堂前に通じる門(灰皿が設置されている。) 参道 - 鐘楼門内から撮影 参道 - 参道口に向って撮影 本堂裏手の池(水草に覆われている) 参道口の踏切 入場券 伽藍配置図(パンフレットより)
毛利家墓所
初代秀就(喜佐姫) 2代綱広(千姫) 4代吉広(小石姫) 6代宗広(勝姫) 8代治親(節姫) 10代斉熙(三津姫) 12代斉広(和姫)の藩主夫妻の墓碑、他殉死者の墓碑がある。
奇数代の藩主夫妻の墓碑は東光寺にある。
関連ページ(※歴史的に過去に関連していた神仏施設他も含めています。必ずしも現在関連しているとは限りません。)
周辺のスポット(4km以内)
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Links
①第20番札所・大照院 幽玄夢幻万灯会の寺
②萩市観光協会「ぶらり萩あるき」
③大照院 - Wikipedia
④霊椿山 大照院|萩市仏教会