喜見山
摩尼寺
天台宗安楽律法流
中国観音霊場特別霊場
百八観音霊場第37番札所
歴史
寺に伝わる『摩尼寺帝釈天王縁起』(弘化3年(846)筆写)によれば、平安時代(794-1185)のはじめ頃、高草郡の産見長者が喜見山(摩尼山)に登ると、立岩に帝釈天が降臨し、「今よりこの峰に鎮座して衆生を救い、なかんずく五障の身である女人を済度しよう」と告げた。それで長者はこの地に精舎を建てた。 承和年間(834年頃)円仁がそれを再興したのが摩尼寺の起こりであるという。
寺はその後中腹に移転。 さらに豊臣秀吉の焼き討ちに遭い荒廃していた寺が、江戸時代初期に池田光仲[1]・光政[2]によって、鳥取城の鬼門にあたる現在の山裾に再建されたものである。
大正元年(1912)麓から仁王門を経て本堂まで303段の石段が敷かれた。石段脇には石塔が列していたが、昭和18年(1943)鳥取大震災で倒壊した。(以上 Links① より)
ひとくちメモ
摩尼山(357m)山中では帝釈天出現の立岩や奥の院跡地などが見られる他に、日本海や鳥取砂丘を一望できる絶景スポットも数多くある。 山中ではクマ・イノシシなど野生動物と遭遇する恐れがあり、場所によってはロープに身を預ける必要がある場面もあるようだ。(Links② より)