万松山
東海寺
[東海禅寺]
臨済宗大徳寺派
★☆☆
梵鐘
坐禅
菩提樹
沢庵禅師の墓所
- 住所・電話
- 〒40-0001 東京都品川区北品川3丁目11-9 標高:7.4m 地図 GMAP 03-6433-9422
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歴史
寛永16年(1639)、徳川家光が紫衣事件によって但馬国出石に流罪となっていた沢庵宗彭(1573-1646)を赦免・招聘して創建。 元禄7年(1694)品川宿の火事の類焼により全焼。 桂昌院(綱吉の生母)によって再建。 明治6年寺領は新政府により没収。現在の寺域は旧塔頭、玄性院(元・臨川院)にあたる。(Links① より)
境内には元禄5年(1692)銘の梵鐘(品川区指定有形文化財)が提げられている。 境内の案内板(品川区教育委員会 平成12年)の内容を抜粋する。
本鐘は元禄5年、従持天倫宗惚が撰文し、名工といわれた幕府の御用鋳物師である椎名予守良寛によって造られたものである。 総高198cm、口径106cm、撞座は竜頭の側面方向に2か所、乳は乳の間ごとに縦横5箇ずつ配列されている。
寺より直線距離にして300m足らず(徒歩10分弱)の所に東海寺大山墓地がある。 墓地内には沢庵和尚をはじめ、多数の古今の有名人の墓碑がある。
墓碑の記事はこちら。
ひとくちメモ
境内には古学殿(仏殿?)・鐘楼・小堂などがみられる。 庫裏前には樹形の整った2株のカエデの大木・西側の門の内側には樹勢盛んな菩提樹がみられる。
表参道は北側の山手通り(都道317号線)沿いにあるが、作者が参拝した時には山門前の扉が閉まっていた。 普段は開いているのかもわからないが、西側にも入口があるので作者はそこから入った。
Links① によれば、広島、長崎の原爆慰霊祭は、東京では当寺にある原爆慰霊碑(広島、長崎の被爆石も所在)前で行なわれるという。原爆慰霊碑は見逃してしまった。
写真
表門(と思われる。門の前の扉は閉められている) - 境内より撮影 古学殿 梵鐘 梵鐘(拡大) 梵鐘(拡大) 庫裏前の樹木(右手に2本の枝ぶりの良いカエデ) 庫裏 小堂 小堂内の石仏(尊名不詳) 小堂内の荘厳 小堂内の石仏群 菩提樹(樹勢盛ん) 西側の門
東海寺大山墓地
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墓地は東海道線の線路のすぐ西側にある。 入口には「史蹟 官営品川硝子製作所跡」の石碑があり、線路沿いを50mほど進むと墓所への石段に突き当たる。
石段の登り口には「東海寺開山 澤庵禅師墓道」の石碑がありその銘には「明治13年9月 喜捨 舊佐嘉藩士 福谷■■ 福谷■■」とある(2名の名は石碑が地中に埋もれて判読不可)。 東海寺あるいは澤庵禅師とこの佐賀藩士とは何らかの関係があったようである。
石段を登ると、墓地となっており澤庵禅師の墓所は墓地のほぼ中央にある。 墓碑は角のとれた円い石となっている(禅宗で悟りを象徴する○なのかも知れない)。
東海寺 (品川区) - Wikipediaによれば、賀茂真淵、服部南郭、井上勝、渋川春海、島倉千代子などの墓もあると記載されているが未確認。 時間が無くパスしてしまった。