九品山唯在念佛院
浄真寺
[九品仏・浄眞寺]
浄土宗
★★★
閻魔堂
仁王門
お面かぶり
- 住所・電話
- 〒158-0083 東京都世田谷区奥沢7丁目7-41-3 標高:35.3m 地図 GMAP 03-3701-2029 ホームページ
- イベント情報(今日から2ヶ月間)
- ○主催者などに事前に確認の上、参加下さい○
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日時 内容 備考 2021-05-05(水) 二十五菩薩来迎会(お面かぶり) 25菩薩(ただし実際は阿弥陀如来と24菩薩)に扮した信者らが楽人や稚児らとともに、本堂と上品堂の間に架けられた橋を三度渡る行事で、二十五菩薩練供養の名で東京都の無形民俗文化財に指定されている。二十五菩薩に扮してこの行事に参加した者は極楽往生できるとされる。 - 検索
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歴史
この地は、元は世田谷吉良氏系の奥沢城であった。 小田原征伐後同城は廃城となったが、寛文5年(1675)に当地の名主七左衛門が寺地として貰い受け、延宝6年(1678)、珂碩上人(元禄7年(1694)10月7日寂)がこの地に浄真寺を開山した。
九品仏とは、浄土教における極楽往生の9つの階層(上品上生・上品中生・上品下生・中品上生・中品中生・中品下生・下品上生・下品中生・下品下生)を表しており、それぞれ印相が異なる。 3体ずつ上品堂・中品堂・下品堂に安置されている(この3堂を併せて「三仏堂」という)。 本尊の釈迦如来(珂碩の作)と九品仏は、いずれも正統な寄木造の手法によって造像されている。
開山の珂碩上人は武蔵国出身。江戸霊岸寺大島村念仏堂に移り住んでから、弟子珂憶(浄真寺2世)とともに寛文7年(1667)、9躯の阿弥陀如来坐像(九品仏)を完成させた。しかしこの地が洪水の被害にあったため、延宝6年(1678)、4代将軍家綱から奥沢城跡のこの地を賜り浄真寺を創建すると、阿弥陀如来像はこの地に移された。(Wikipedia、本堂で配布されているパンフなどによる)
3年に一度、5月5日にお面かぶり(二十五菩薩来迎会)が催される。これは25菩薩に扮した信者らが楽人や稚児らとともに、本堂と上品堂の間に架けられた橋を三度渡る行事。東京都の無形民俗文化財。 二十五菩薩に扮してこの行事に参加した者は極楽往生できるとされる。 この時は、仁王門(紫雲門)の楼上に安置されている阿弥陀如来像と二十五菩薩像も開帳される。 ちなみに次回は2020年5月5日に開催される。(Links③ に前回の様子が詳細に掲載されている。)
ひとくちメモ
東急大井町線の九品仏駅より、徒歩1分足らず。 参拝客には便利で優しいなお寺である。 境内は参道両脇の黒松・イチョウ・カエデなどなど多数の緑に包まれている。 本堂に上がり、本尊の前でしばし念仏。 その後、本堂の西側の三仏堂に参拝。 9体の阿弥陀如来が並んだ姿は圧巻である。
境内には他に、開山堂・観音堂・仁王門・阿育王塔・閻魔堂などがみられる。 作者の参拝はこれで確か3度目と思う。昔々(1975年頃)は東急線から三仏堂が拝めたような(線路に面して9仏が並んでいた)記憶がある。 伽藍配置が変更されたのか、作者の勘違いか?
写真
山門 下品堂 下品堂内の阿弥陀仏 上品堂 上品堂内の阿弥陀仏 中品堂 中品堂内の阿弥陀(向かって左手の阿弥陀様はご不在) 本堂の天井(色鮮やか) 本尊:釈迦牟尼仏 三仏堂全景(手前より中品堂・上品堂・下品堂) 阿育王塔(天保年間のもの) 境内風景(カエデ・イチョウ) 本堂裏手のサギソウ園 仁王門 - 境内より撮影 (1708)建立) 2018-07-04"> (1708)建立)" width="320" height="240">
鐘楼堂(宝永5年(1708)建立) 梵鐘(東京都指定有形文化財) 雷神(と思われる) - 仁王門の裏側面 風神(と思われる) - 仁王門の裏側面 仁王像(阿形) 仁王像(吽形) 境内風景 - 仁王門を背にして撮影 開山堂の門 開山堂 観音堂の扁額 観音堂 観音堂前の三十三観音像 手水舎 手水鉢に水を注ぐ管にサギソウの装飾がほどこされている 東側の山門 門前の風景 - 東側の山門を背にして撮影 閻魔大王 葬頭河婆 閻魔大王と葬頭河婆 閻魔堂 六地蔵尊 山門の扁額 参道の石塔群 参道 - 山門を背にして撮影 参道口に立つ石塔「禁銃獵 警視廳」(明治33年11月銘) 「平成九品佛大修繕事業」大勧進の看板 参道口 門前の風景(横断歩道を渡ればすぐ先が東急大井町線九品仏駅) 境内案内図(案内板より抜粋) 境内のネコちゃん
Links
①九品仏浄真寺 - Wikipedia
②珂碩 - Wikipedia
③浄真寺 お面かぶり - 東京都世田谷区 - 5月5日
④九品仏浄真寺|世田谷区奥沢にある浄土宗寺院 | 猫の足あと