松洞山
長寅寺
[長寅禅寺]
臨済宗東福寺派
☆☆☆
雪舟
歴史
『石見六郡社寺誌』によれば、 豊田郷地頭職石川庄内の七人の旗頭、工藤三郎致忠が、奥州生まれの光外士明禅師(応安元年(1368)7月10日没)を開祖とし、松洞庵を創建して、その後、享禄3年(1530)に益田医光寺第6世の実際士誠禅師が仏殿を再興し、松洞山 長寅寺と改称した。 それより医光寺を中本寺としたが、明治12年6月21日に東福寺直末となった。 庭園は雪舟医光寺住山中に築いたという。
ひとくちメモ
参道口は匹見川沿いにある。そこから100mほどかなりきつい坂の一直線の参道を登ると山門にたどり着く。 年歴を経た山門をくぐると境内である。 本堂前には、名はわからないが根元の直径が1mほどある老木がある。 その隣にも老木の切り株がある。 石垣沿いには多数の石仏もみられる。