仏旗 瀧蔵山 勝達寺跡(しょうたつじあと) [染羽天石勝神社] 真言宗  TYOUENJI ZEN TEMPLE

  • 清滝権現社境内図(江戸中期) - 社務所に掲げられていたものを撮影
    清滝権現社境内図(江戸中期) - 社務所に掲げられていたものを撮影 
  • 拝殿入口に掲げられた絵馬(「勝達寺」と「明和4」の文字が読み取れる)
    拝殿入口に掲げられた絵馬(「勝達寺」と「明和4」の文字が読み取れる) 
住所・電話
〒698-0011 島根県益田市染羽町1-60 標高:23.9m MAP GMAP 0856-22-3619 
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歴史

境内の案内板の内容を下に記す。

国指定重要文化財染羽天石勝神社(そめばあめのいわかつじんじゃ)本殿指定昭和4年4月6日

染羽天石勝神社は、社殿の東側、弁天池の背後にある注連岩を石神とした自然崇拝を起源とし、神亀2年725に天石勝命を祭神として創建されました。

『延喜式』に美濃郡五座のひとつとしてその名がみえ、後に滝蔵権現と呼ばれるようになりました。承平元年931に社殿西側の高台に別当寺の勝達寺を建立し、中世には益田氏の庇護を受けて発展しました。明治の廃仏毀釈に伴い勝達寺は廃寺となり、神社も名を染羽天石勝神社と改めました。なお、勝達寺の本尊であった不動明王坐像は鎌倉の極楽寺に現存し、国の重要文化財に指定されています。

本殿は、天正9年1581に火災で焼失しましたが、益田藤兼元祥親子により再建されました。その後、江戸時代に修理され、昭和12年に解体修理、昭和39年及び平成10年・11年に屋根の葺き替え工事が行われています。

本殿は三間社流造で、三間×三間の身舎の前に奥行一間の吹放し板張りの庇床を設け、両側のみに高欄付きの縁をもちます。このような構造は、重要文化財指定の建造物の中では唯一のものです。

本殿の特異な平面構成と装飾彫刻の蟇股や手挟に見られる桃山時代の特色から、昭和4年に国宝となり、戦後、文化財保護法の制定に伴い、改めて重要文化財に指定されました。

平成18年12月 益田市教育委員会

Linksのページによれば、拝殿は天正9年1581の火災により焼失、天正141586年再建立、素焼きの瓦葺きで今日ではこの瓦は手にらない。元々は、神楽殿として使用されていたという。

第二次長州征討(四境戦争)1866では福山藩がこの寺と医光寺に陣を布いて長州軍と対峙したが長州藩の猛攻を受けて潰走したという。

ひとくちメモ

社務所に掲げられた江戸中期の境内図(上写真参照)によれば、寺は社務所の西側にあり、堂塔が清滝の裏手に建っていたようである。 寺跡と思しき所に行ってみたが民家となっており、礎石などの遺構は確認できなかった。 清滝裏手は崖で草木が茂っており、堂塔の遺構も確認できなかった。

なお、ここから100mほどの所に石段があり、その脇に「幕長戦争 石州口の戦 勝達寺墓地(約25m)」と書かれた道標がある。石段を途中まで登ったが草木が茂っておりヘビ嫌いな作者は前進を断念。

写真

  • 遥拝所と本殿
    遥拝所と本殿 
  • 遠景 - 南西側の益田兼見の墓地より撮影
    遠景 - 南西側の益田兼見の墓地より撮影 
  • 拝殿
    拝殿 
  • 清滝
    清滝 
  • 弁天池
    弁天池 
  • 拝殿
    拝殿 
  • 拝殿
    拝殿 
  • 境内風景(前方の建物が社務所)
    境内風景(前方の建物が社務所) 
  • 境内風景
    境内風景 
  • 墓地入口
    墓地入口 
  • 道標
    道標