heritage 子守子授け地蔵菩薩(こもりこそだてじぞうぼさつ) [赤城地蔵・地蔵鼻高橋本家地蔵菩薩] 仏教礼拝所 ☆☆☆

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〒698-0033 島根県益田市元町1-4   標高:7.9m 地図 GMAP
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歴史

地蔵堂内に掲示されている由緒書きを下に記す。

地蔵鼻高橋本家地蔵菩薩(通称赤城地蔵)

1.建立の由来

長禄2年(1458)高橋次郎左衛門尉頼久が上吉田地頭となって8代子孫の吉左衛門頼勝の時、 貞享3年(1686)(せがれ)新之助を亡くし、その供養のために正徳年間(1711-1715)に地蔵菩薩を建立した。

高橋本家は次郎左衛門頼久より5代子孫の三郎左衛門尉頼泰の時、毛利氏に従って須佐移住した益田氏の下を離れ上吉田に残り帰農し、「地蔵鼻高橋家」と称した。

明治になり地蔵鼻高橋本家は休溢(現元町)の山手に屋敷を移したが、地蔵菩薩は建立場所(現市役所裏手)にとどめた。

2.近年の模様

吉田地区における二大石造地蔵菩薩(赤城[1]、今西[2])の内一体であり、 「子守子授け地蔵」として広く地域内外の信仰を集め、お参りが絶えない。

特に次郎左衛門頼久より18代子孫の正喜は厚く敬い、 毎年4月21日には先祖と共に供養を行っていた。 現在も管理は地蔵鼻高橋本家で引き継がれている。

(その経緯は「益田市史(矢富熊一朗著)370p〜371p」、 「益田市誌上巻(益田市誌編纂委員会)874p〜875p」に記載されている。)

ひとくちメモ

上の記事で、二大石造地蔵菩薩のうち「今西」にある地蔵菩薩は作者は未確認である。 ここより西南方向1km強の地点(現地名:中吉田)に中吉田地蔵堂がある。 この地蔵菩薩と赤城地蔵とは大きさ・材質(御影石?)が良く似ている。 何らかの関連があるのかもしれない。

写真

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脚注