篠渓山
専立寺
浄土真宗本願寺派
伊藤氏参拝済
- 住所・電話
- 〒849-1426 佐賀県嬉野市塩田町五町田乙4281 標高:47.4m 地図 GMAP 0954-66-2260
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歴史
伊藤氏メモ境内にある由緒書きの碑には、以下のように記載されている。
関ケ原の戦の前年の慶長4年(1599)佐賀藩の藩祖・鍋島直茂は大阪に残した妻子の安全を本願寺門跡に頼り、肥前国に真宗の寺を広めることを約して領国に帰った。
慶長7年(1602)鍋島直茂の子・勝茂が佐賀藩初代藩主となると、願正寺(佐賀市呉服元町)を中心とする七箇所の道場を定める法を施行した。その中の一箇所が塩田町今小路榎堂に住み真宗の教えを説いていた芦刈久左衛門(開基釋了念)の道場であり、慶長16年(1611)に本願寺第12代准如上人から専立寺の寺号を賜った。この慶長16年(1611)が当寺の創建・開基の年である。
9年後の元和6年(1620)に鹿島の小舟津に移転した。寛永9年(1632)当寺第2世宗誓は上洛して開山聖人の御真影を許された。
万治元年(1658)鹿島藩第3代藩主鍋島直朝から寺地を賜った。直朝の寿影が当寺に保存されている。
鹿島小舟津に移転39年後の万治2年(1659)第3世壽南の代に浜町の八本木村に移転した。 第8世梅洞代、宝暦10年(1760)から明和3年(1766)まで6年の歳月をかけて本堂が再建された。
明治9年(1876)に本寺・末寺の制度が廃止されることとなり、浜町の八本木村に移転してから218年後の明治10年(1877)に当寺発祥の地である塩田の美野に移転することとなった。現在の本堂は、浜町八本木村から移転する際に解体したのち寸分違わずに復元されたものである。
昭和28年(1953)寺族門徒の墓を浜町八本木村から塩田美野に移転し専立寺の移転は完了した。現第18世。()
ひとくちメモ
伊藤氏メモ山門は大正4年(1915)建立の茶色の四脚門である。かつては、境内の樹齢100数十年のしだれ桜が有名であったが、20年ほど前に枯れてしまったという。みのり保育園を併設している。(2019-02-23)
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