heritage 高徳山(こうとくざん) 立傳寺(りゅうでんじ) [立伝寺] 浄土真宗本願寺派 ☆☆☆ 水盤 キンモクセイ 伊藤氏参拝済 長崎街道塩田宿

住所・電話
〒849-1411 佐賀県嬉野市塩田町馬場下甲678   標高:9.2m 地図 GMAP 0954-66-2085 
検索
同地区同宗派(11)  ( 4km以内 ) MAP  周辺のスポット(8)

歴史

伊藤氏メモ天正12年(1584)、塩田区に創建。 『立伝寺由緒覚』によれば、当寺の開基は、筑前国津城主原田相模守の二男建立とある。 また寛永18年(1641)3世玄道のとき、本山本願寺より許可を得て本願寺末寺(浄土真宗)となるとある。

『塩田郷土史』には、「筑前国津城主原田相模守、戦敗れて兄弟肥前に逃る。兄相模守は龍造寺に仕え、弟修理之進は塩田に彷徨(さまよ)ひ幼童を集め手習い師匠として住居けるが後、天正12年(1584)法躰[1]となり名を玄照と改め徒弟六七十名(ことごと)く檀徒たらしめ一宇を立て立伝寺と称す」とある。

立伝寺の昭和58年(1983)開山400年記念誌によれば、「筑前の国、津城主原田相模守の二男修之助が創立した。槍一本の武将であったが、藤津郡(現:嬉野市)塩田に来て子ども達に手習いを教えていたが、後これを檀徒として出家し、法名を玄照と改め一寺を建立した」とある。

また立伝寺にある古文書によれば、3世玄道は、3代将軍家光の葬儀に列し、帰国後、公方様三代大院殿公の位牌を祀った正献院様(鍋島直澄)の位牌の安置を許されたと伝えられ、現在寺宝として安置されている。また3世玄道の坊守は直澄公息女音成姫であったと伝えられている。

第7世慧燈の頃本堂を建立。天明4年(1784)には、塩田の名石工筒井藤右衛門の作なる水盤が寄進されている。 (「NPO潮高満川(しおた)HP」より)()

門前の道は長崎街道である。

ひとくちメモ

伊藤氏メモ寺前の案内板によると、創建時は天台宗であったという。

また、同案内板には、[第3世の玄道が増上寺(東京都港区)で修行中に3代将軍徳川家光の葬儀に列し、帰国後に鍋島直澄(佐賀蓮池藩初代藩主)より大献殿(家光)の位牌安置を許され、法衣や寺領70石を賜ったといわれている。]と書かれている。この位牌は普段見るものに比べると遥かに大きなもので、本堂の本尊阿弥陀如来立像(寛永18年(1641)銘)の左側に供えられている。()

本堂両サイドと石段上の脇にはキンモクセイの株がある。 本堂に向かって右手前に石製の水盤らしきものがある。これが「塩田の名石工筒井藤右衛門の作なる水盤」である。

写真

  • 本堂の扁額
    本堂の扁額 
  • 水盤
    水盤 
  • キンモクセイ
    キンモクセイ 
  • 石段
    石段 
  • 門前の恵比寿像
    門前の恵比寿像 
  • 喚鐘
    喚鐘 

周辺のスポット(4km以内)

周辺の寺院・仏教施設・他のページは当ページの上部の検索の項の「4km以内」のボタンをご利用下さい。

脚注