美城山
明元寺
浄土真宗本願寺派
☆☆☆
菩提樹
伊藤氏参拝済
長崎街道嬉野宿
- 住所・電話
- 〒843-0301 佐賀県嬉野市嬉野町大字下宿甲3876 標高:60.4m 地図 GMAP 0954-43-1687
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歴史
平成17年銘の落慶記念碑の碑文を下に記す。
当明元寺は慶長3年(1598)釋宗極により開かれました。 旧本堂は文化8年(1811)に建立され、193年の間風雪に耐えてまいりました。
その間数回の補修は施されたが門信徒並びに有縁の方々のご懇念により平成16年(2004)に本堂、会館、庫裏、鐘楼堂が完成し今日の慶びの日を迎えたのである。 ここに落慶を記念してこの碑を建立する。
門前は長崎街道 嬉野宿に入る直前の街道である。
山門は上使屋(嬉野宿の御茶屋)の門であったものである。
伊藤氏メモ[上使屋の門]と表題された案内板があり、以下のような記載がされている。
上使屋とは、宿場を通過する大名・長崎奉行・幕吏・他藩の高級武士等を宿泊させ接待する佐賀蓮池藩直営の施設で、出入りのため通っていた門を[上使屋の門(武家門)]と呼んでいた。
江戸時代の嬉野は、長崎街道嬉野宿(嬉野湯宿)と呼ばれ、大村領から佐賀領に入って最初の宿場であった。この宿場は、裏手側の嬉野川と浴場、及び表側の長崎街道とに挟まれていたことから、土地が狭く建物も小さかったため、大名・長崎奉行の宿泊にはあまり利用されず、近くの瑞光寺が本陣に充てられた。
明治4年(1871)に[上使屋]は民間に払い下げられ、塩屋という嬉野第一の旅館として使われたが、門(武家門)は必要ないとされ、門だけが明元寺に山門として移設され、現在もなおここに存している。
[シーボルトの湯]の左手の石段途中にある藩営浴場脇の薬師堂のすぐ先に、[長崎街道嬉野湯宿 上使屋跡]と刻字された石碑[1]が立っている。()
ひとくちメモ
風格のある巨大な山門である。 伽藍はすべて改築され真新しい。 納骨堂前には菩提樹の木が植えられている。
写真
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