光明山偏照院
専称寺
[專稱寺]
浄土宗
★☆☆
梅
行基
ツツジ
木造阿弥陀如来坐像
少弐政資・資元親子の墓所
- 住所・電話
- 〒846-0031 佐賀県多久市多久町2158 標高:30.3m 地図 GMAP 0952-75-2440 ホームページ
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歴史
ホームページによれば、開山は平安初期大同2年(807)、行基菩薩と伝えられ、 当初は天台宗であったが、弘安年中(1278-1287)一遍がこの地を訪れたときしばらく居住し時宗に改めたが、のち佐賀市川副町南里の正定寺開山の満恵の弟子暁誉が中興の祖となって、慶長14年(1609)浄土宗開山とされているという。
近世には末寺が延寿寺の他に5ヶ寺あったという。 境内には樹齢600年といわれる大ツツジがある
『佐賀県の歴史散歩』によれば、参道右手の納骨堂の奥に少弐政資・資元親子の卵塔の墓がある。 明応6年(1497)、政資は大内義興に攻められこの寺で自刃(詳しい状況は上のLinksのページをご覧ください)。 天文5年(1536)、その子資元も大内義隆に攻められこの寺で自刃したという。
寺の西側(東町一帯)は、藩政時代に高札場・宿駅・宿場があり、千本格子など明治期の面影を残す切妻造りの副島本家があるという。
境内の案内板によれば、寺所蔵の木造阿弥陀如来坐像は檜材の一木造り。12世紀末頃の作という。 多久市重要文化財。
ひとくちメモ
本堂前は庭園となっており、砂がきれいに掃き清められていた。 庭園内のしだれ梅、本堂左右の紅白の梅の花が満開であった。ラッキー。
山門脇と墓地内に六地蔵塔。 山門脇には六地蔵。 他に水子地蔵堂・子安観音堂・「核割の梅と血びきの石」がある。 少弐政資・資元親子の墓所は本堂に向かって右手の墓地の一番奥にある。
「樹齢600年といわれる大ツツジ」・木造阿弥陀如来坐像・副島本家は未確認。残念無念。
写真
本堂(手前と庫裏) 庫裏と本堂 本堂の扁額 全景(左右方向の道は県道24号線) 山門 本堂に向かって左手前の紅梅 本堂に向かって左手前の白梅 境内風景 本堂前の風景(砂が綺麗に掃き清められていました) 子安観音堂 子安観音堂の扁額 子安地蔵堂 子安地蔵堂内 核割の梅と血びきの石 六地蔵 - 山門脇 六地蔵塔 - 墓地内 山門脇の六地蔵塔 山門脇の六地蔵塔の頭部 少弐政資・資元親子の墓所入口(墓地の一番奥にあります。) 少弐政資・資元親子の墓標 喚鐘
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