bukki 桐野山最尊院 妙覚寺(みょうかくじ) [肥前の延暦寺] 天台宗 ★★☆ 紅葉 仁王門 六地蔵塔 刻像青面金剛石祠

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〒846-0024 佐賀県多久市南多久町大字下多久5698   標高:112m MAP GMAP 0952-76-4823 
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歴史

『佐賀県の歴史散歩』と仁王門に掲げられた「桐野区住居位置マップ」に掲示された多久市教育委員会の説明文(昭和57年3月)によれば、 本尊は木造不動明王立像(伝慈覚大師作)。 天平4年(732)(あるいは天平13年(741))、行基が聖武天皇の勅願寺として創建。 往古は120余りの末寺を有したが、数度の火災に遭い焼失。 天正年中(1573-1593)憲海龍造寺長門守[1]から寺領50石を受け再興。 現在の観音堂・本堂・庫裏は昭和8年(1933)に再建されたものという。

弘法大師筆と呼ばれる胎金両界曼荼羅(県重文、県立博物館寄託)、四天王石像(伝弘法大師作)がある。 ほか境内には諫早塚ほか多数の石塔石仏がみられるという。

他に刻像青面金剛石祠(扉に寛文12年(1672)銘、多久市重要文化財)・六地蔵塔仁王門がある。

ひとくちメモ

仁王門は麓の桐野バス停付近にある。 そこから約100mはだらだら坂、その先は石段である (石段途中に諫早塚あり)。 やっとこさ観音堂にたどり着く。 仁王門より観音堂までの距離約300m。 仁王像・石段・石祠・石塔・石仏などなど見どころ多数あり。 写真は以下の順に掲示する。 各ポイントの位置関係は右上の「桐野区住居位置マップ」をご覧ください。
本堂域鳥居の内側の領域五百羅漢域観音堂域参道仁王門バス停付近諫早塚

本堂域

本堂
本堂 
本堂(左)と庫裏
本堂(左)と庫裏 
本堂
本堂 
カエデの巨木 - 庫裏前
カエデの巨木 - 庫裏前 
カエデの巨木 - 本堂前
カエデの巨木 - 本堂前 
六地蔵塔
六地蔵塔 
六地蔵塔(拡大、傘が欠落している)
六地蔵塔(拡大、傘が欠落している) 

本堂前にはカエデのかなりの古木が4-5本あるのが確認できる。

本堂の斜め前には傘が欠落した六地蔵塔がある。

本堂内の様子はLinks② をご覧ください。


鳥居の内側の領域

鳥居の内側の領域への石段
鳥居の内側の領域への石段 
鳥居(笠木が欠落している、安永4年乙未(1775)銘)
鳥居(笠木が欠落している、安永4年乙未(1775)銘) 
石祠
石祠 
石祠
石祠 
刻像青面金剛石祠(全景)
刻像青面金剛石祠(全景) 
刻像青面金剛石祠(案内板によれば、1身4手で2鬼上に立ち、三股叉・棒・一輪・羂索を持ち、頭部、4手、両脚に大蛇を纏い、右下に猿、左下に鶏が刻まれているという。)
刻像青面金剛石祠(案内板によれば、1身4手で2鬼上に立ち、三股叉・棒・一輪・羂索を持ち、頭部、4手、両脚に大蛇を纏い、右下に猿、左下に鶏が刻まれているという。) 
刻像青面金剛石祠(遠景、中央右手)
刻像青面金剛石祠(遠景、中央右手) 
大日如来・弘法大師像
大日如来・弘法大師像 
聖徳太子像
聖徳太子像 

ここは本堂に向かって左手の領域である。 10数段の石段を登ると、笠木部が欠落した鳥居(安永4年乙未(1775)銘)があり、その先に多数の石祠・石仏がみられる。 刻像青面金剛石祠もこの領域にある。

境内の案内板によれば、刻像青面金剛石祠は庚申塔の一種。 庚申塔は通常は文字塔である。市内に残る刻像の庚申塔はこの石祠だけだという。 作者が見た国東半島の天台宗寺院(富貴寺傳乗寺など)で見た庚申塔と共通点があるように思える。


五百羅漢域

鐘楼跡
鐘楼跡 
全景
全景 
観音像
観音像 
如意輪観音像
如意輪観音像 

「桐野区住居位置マップ」では、ここは「五百羅漢」と表記されているが、ここにあるのは全て観音像と思われる。 作者が何か勘違いしているのかもしれない。 観音様達は皆良いお顔をされておられる。 少し離れた所には石組のみ残る鐘楼跡がある。


観音堂域

観音堂全景
観音堂全景 
観音堂
観音堂 
参道 - 観音堂を背にして撮影
参道 - 観音堂を背にして撮影 
石造五重塔
石造五重塔 
石造五重塔
石造五重塔 
石塔
石塔 
法華経妙典三千部塔
法華経妙典三千部塔 
法華経妙典三千部塔(享保銘)
法華経妙典三千部塔(享保銘) 
石塔群
石塔群 
不動明王像・板碑・傘地蔵
不動明王像・板碑・傘地蔵 
不動明王像(拡大)
不動明王像(拡大) 
板碑(拡大)
板碑(拡大) 
傘地蔵(拡大)
傘地蔵(拡大) 

観音堂より一段下がった所には石造五重塔ほか多数の石塔・石仏群がみられる。

「桐野区住居位置マップ」では、ここは「観音堂」と表記されている。 作者は単に神社だと思い堂内を観察するのをスルーしてしまった。 自宅に戻りLinksのページを見ると、銅鏡(ご神体?)と多聞天・増長天の像が安置されているという。 残念無念である。


参道

石段
石段 
途中の石塔・石祠群
途中の石塔・石祠群 
途中の石塔・石祠群(全景)
途中の石塔・石祠群(全景) 
六地蔵塔唐(奥側)
六地蔵塔唐(奥側) 
六地蔵塔唐(奥側・拡大)
六地蔵塔唐(奥側・拡大) 
六地蔵塔唐(手前側)
六地蔵塔唐(手前側) 
六地蔵塔唐(手前側・拡大)
六地蔵塔唐(手前側・拡大) 
石塔裏面の人物像
石塔裏面の人物像 
途中の石塔・石祠群脇の石段
途中の石塔・石祠群脇の石段 
梅の花
梅の花 
石段 - 仁王門に向かって撮影
石段 - 仁王門に向かって撮影 
石段 - 観音堂に向かって撮影
石段 - 観音堂に向かって撮影 
諫早塚脇の石段 - 仁王門に向かって撮影
諫早塚脇の石段 - 仁王門に向かって撮影 
石段
石段 

石段はみごと。ピッチの長い石段が200mほど続く。この規模の石段はなかなか見られない。 一見の価値十分である。 途中に六地蔵塔をはじめ諫早塚・多数の石塔・石祠群がみられる。


仁王門

仁王門遠景
仁王門遠景 
仁王門
仁王門 
仁王門 - 参道上より撮影
仁王門 - 参道上より撮影 
仁王像(吽形、上半身)
仁王像(吽形、上半身) 
仁王像(吽形、胴部)
仁王像(吽形、胴部) 
仁王像(吽形、下半身)
仁王像(吽形、下半身) 
仁王像(吽形、頭部)
仁王像(吽形、頭部) 
仁王像(吽形、胴部)
仁王像(吽形、胴部) 
仁王像(吽形、腰)
仁王像(吽形、腰) 
仁王像(吽形、下半身)
仁王像(吽形、下半身) 
坂道の参道とその先の石段
坂道の参道とその先の石段 

この仁王様は今まで作者が見た中で最も怖いお姿をされておられる。 夜に、この前を通るのは子供でなくても怖いと思われる。 格子の中に安置されているため、全景の写真が撮れませんでした。


バス停付近

石碑・六地蔵塔・恵比寿像?・大黒天像
石碑・六地蔵塔・恵比寿像?・大黒天像 
六地蔵塔(拡大)
六地蔵塔(拡大) 
六地蔵塔(拡大)
六地蔵塔(拡大) 
桐野公民館
桐野公民館 
バス停(ふれあいバス)と溜池
バス停(ふれあいバス)と溜池 
超遠景 - 北側の長生寺付近より撮影
超遠景 - 北側の長生寺付近より撮影 

桐野バス停があり、六地蔵塔・恵比寿像・大黒天像などがみられる。 脇には桐野公民館がある。


(多久市重要文化財)諫早塚(昭和56年3月20日指定)

諫早塚
諫早塚 

案内板の内容を下に記す。

寛延元年(1748)、諫早8代領主諫早茂行は、佐賀本藩の養子問題(世継)に関与したことが不調法であるとして、佐賀本藩から1万石の領地の没収と隠居蟄居が命ぜられた。

この処分は諫早領の財政・生計が困窮すると怒った家臣および百姓が幕府への直訴を企て、百姓騒動が起こった。(諫早百姓騒動)

この鎮圧にあたったのが多久邑7代邑主多久茂堯で、 兵約1600名を以ってこれを鎮めた。 この騒動は処刑者26名におよんだが、茂堯は、この騒動は主君の処分に対する家臣・領民の心にあらわれた殉死と評し、寛延4年11月9日、法華100部を読踊し塚を築き碑を建てその霊を弔った。 供養塔は中央に諫早墳、上段に5名の上級家臣、下段に10名の百姓の名が刻んである。

諫早墳は諫早百姓騒動の史実と一致し、諫早氏・多久氏とも龍造寺一族で、鍋島氏の龍造寺庶家に対する政策などが伺え、その歴史的価値は高い。

昭和57年3月 多久市教育委員会

この塚の道を挟んだ下の畑で農作業をされておられた地元の初老の女性のお話では、 今でも長崎からの参拝者があるという。


脚注

関連寺院(※過去に関連していた寺院も含みます。必ずしも現在関連している寺院とは限りません。)

周辺のスポット(4km以内)

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