仏旗 川上山 善福寺(ぜんぷくじ) [善福禅寺] 曹洞宗  ZENPUKUJI ZEN TEMPLE 唐津街道 武雄新四国霊場第59番札所

  • 本堂
    本堂 
  • 水子地蔵堂(多数の地蔵菩薩がみられる)
    水子地蔵堂(多数の地蔵菩薩がみられる) 
  • 本堂の扁額
    本堂の扁額 
住所・電話
〒843-0002 佐賀県武雄市朝日町大字中野10440 標高:22.7m MAP GMAP 0954-23-3480
周辺の寺院
同地区同宗派検索  4km以内の寺院検索

歴史

門前の県道331号線は旧唐津街道である。 薬師堂は武雄新四国霊場第59番札所となっている。 本堂前の案内板の内容を下に記す。西暦年号、ふりがなは作者が追加しました。

窓野御前の菩提寺川上山善福禅寺の由来

善福寺の本尊は薬師瑠璃光如来にして肥前国長島庄河上山禅福寺の記録があるものの創作年は不詳である。 長島庄は後白河法皇1129-1158の勅願によって建てられた蓮華院(武雄市)の庄園であるところから如来像の創作は法皇の時代と考えられるので養和1181-1181建久1190-1198の頃約800年前に開基されたことになるが年代はさだかではない。

寺歴によれば鬼子嶽城主波多下野守(しげし)の妻室窓野御前の菩提を弔う為、波多下野守鎮が開基となり武雄市蓬萊山廣福護国禅寺の末寺として一宇を建立した。 しかし文禄の初めの頃、当寺及び地蔵院を併せて廃寺としているが理由は不明である。 以降武雄町普門山圓應禅寺6世一叟勝鈍大和尚当寺を再興して入山し圓應寺の末寺となる。 勝鈍大和尚東川登町浄泰院に開山として入山されたので圓應寺7世朝翁噋大和尚当寺上世として入山7世延厳祝和尚まで僧住の寺として続いた。 爾来星霜を圣て約数百年平僧地となり無住の時代が続き荒廃して存立するのみとなっていたが明治14年月穿潬底老和尚本師(西多久村)圓通寺25世雲外龍如大和尚を開山として法地開闢となり現在に至っている。

窓野御前は肥前国波多郡鬼子嶽城主第17代波多下野守鎮の妻室である。 先代(さこう)は松浦一帯を覇した権力者であったが世継ぎに恵まれず、弘安3年1280島原城主の三男藤堂丸を養子にして第17代城主として鎮を襲名させたが、これをよしとしない一族の不満から、永禄7年1564末の祝宴の折り反嚙が起り応戦の暇もなく鎮は玉島郡に逃れ窓野御前は家臣下平北川等侍女6人に守られ河上の地に落ちのびたものの妊婦の身に難行の衰弱激しく静養の甲斐なく永禄8年15658月23日に此の地に没せられた。 家臣郷人哀惜して亡骸を小高い丘に葬り祠堂を建て篤く菩提を弔い冥福を祈った。 現在も命日には祇園蔡を催して当時を偲んでいる。

窓野御前の信仰の中心は子授け安産と子育てで特に霊験を現し世人の崇拝いよいよ厚く、今日婦人の祈願する人が多い。

平成4年10月吉日
曹洞禅寺 川上山
善福寺5世 傅相智学
佐世保市早岐 下平敦雄志記

ひとくちメモ

境内には、薬師堂・水子地蔵堂がある。 水子地蔵堂内にはおびただしい数の地蔵菩薩像が安置されている。 本堂前の石庭もなかなかのものである。 薬師堂前のハナズオウは満開でした。

写真

  • 遠景
    遠景 
  • 看板
    看板 
  • 参道口(左右方向の県道331号線は旧唐津街道である。)
    参道口(左右方向の県道331号線は旧唐津街道である。) 
  • 薬師堂
    薬師堂 
  • 薬師堂の荘厳
    薬師堂の荘厳 
  • 本堂前の石庭
    本堂前の石庭 
  • ハナズオウ - 薬師堂の前
    ハナズオウ - 薬師堂の前 
  • ハナズオウ(拡大)
    ハナズオウ(拡大) 
  • 喚鐘
    喚鐘 


関連寺院(※過去に関連していた寺院も含みます。必ずしも現在関連している寺院とは限りません。)