heritage 黒髪山(くろかみさん) 西光密寺(さいこうみつじ) [西光寺] 真言宗大覚寺派 ★☆☆ 白山宮 六地蔵塔 肥前鳥居 黒髪神社下宮 黒髪神社上宮 山内四国霊場第77番 黒髪山西国三十三ヶ所霊場札番不詳 九州八十八ヶ所百八霊場第69番札所

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〒849-2305 佐賀県武雄市山内町宮野黒髪山中腹   標高:422m 地図 GMAP 0954-45-4335 
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歴史

伊藤氏メモ大同年間(806-810)に、空海が古くからの山岳信仰の対象であった黒髪山の山頂近くに大智院(だいちいん)を創建したと伝える。

鎌倉時代以降は黒髪山大権現と呼ばれ、神仏習合の霊地として修験道の道場となるとともに、武雄の後藤氏の祈願所となった。しかし、明治の神仏分離によって黒髪神社と大智院に分離された。

大智院は、修験道の道場として多くの坊をもっていたが、神仏分離後の明治9年(1876)と明治11年の2度にわたる火災で多くを 焼失し、明治41年(1908)佐世保市に移転再建した(佐世保市戸尾町9-8、黒髪山大智院)。 現在、黒髪神社上宮近くに、その奥の院が西光密寺としてある。また、山頂近くには大智院跡がある。『佐賀県の歴史散歩』などより)()

ひとくちメモ

西光密寺の参拝を目指して黒髪山に登った。 作者が当山に滞在した時間はわずか2時間足らずであるが、山内を徘徊しているうちに、この山全体が大智院であり、西光密寺であり、黒髪神社であると思えてきた。 神仏が渾然一体となったような鳥居・石塔・石仏・石祠等がよく残されている。 麓の黒髪神社下宮から山頂の上宮までには、舗装道路で寸断されてはいるが旧参道がよく残っている。全山通して間伐もされており見通しも良い。

上の感想は黒髪山の武雄市側のみの事で、西側の有田町側の状況はわからない。

本来ならば、現西光密寺の境内のみの記事にする所だが、当ページでは作者がチェックした山内全体について、山裾から山頂付近の黒髪神社上宮の順で記事を書く。 何せ、2時間足らずの駆け足の参拝で漏れた箇所があるのかもしれない。

実際は作者は、まず黒髪神社下宮に参拝。その後念仏4号(バイク)にて西光密寺のある平体面まで一気に登り、そこから徒歩にて山頂近くの上宮に参拝。その後、下りながら車道沿いの参道を見て廻った。

黒髪神社下宮上宮一の鳥居上宮ニの鳥居カザハヤ峠太鼓岩不動寺西光密寺西光密寺から黒髪神社上宮への参道白山宮黒髪神社上宮

黒髪神社下宮

社殿 - 黒髪神社下宮
社殿 - 黒髪神社下宮 
一の鳥居 - 黒髪神社下宮
一の鳥居 - 黒髪神社下宮 
参道のメガネ橋
参道のメガネ橋 
手水舎(生木の植え込み・和歌などがあしらわれており非常に綺麗なもの。鉢は六角形)
手水舎(生木の植え込み・和歌などがあしらわれており非常に綺麗なもの。鉢は六角形) 
ニの鳥居(肥前鳥居。延宝3年(1675)武雄頼長・頼久の寄進による) - 正面より撮影。黒髪神社下宮
ニの鳥居(肥前鳥居。延宝3年(1675)武雄頼長・頼久の寄進による) - 正面より撮影。黒髪神社下宮 
ニの鳥居 - 境内より撮影。黒髪神社下宮
ニの鳥居 - 境内より撮影。黒髪神社下宮 
境内風景 - 社殿を背にして撮影。黒髪神社下宮
境内風景 - 社殿を背にして撮影。黒髪神社下宮 

上宮は崇神天皇16年(3世紀後半)、下宮は霊亀元年(715)、朝廷の勅願社として創建された。肥前最古の由緒をもつ(やしろ)

鎌倉期以降、天台修験と結びついた熊野信仰が伝播してくると神仏習合の様相が強まり、「黒髪大権現」の称号を呼ばれるようになる。

末社・(かけ)社は杵島郡・松浦郡を中心に50社に及んだ。

秋のお供日に奉納される流鏑馬(やぶさめ)は、永万元年、大蛇退治の願成就として下宮で奉納されたのがはじまり。(以上 社殿脇の案内板より)

大蛇退治の主な舞台は黒髪山の西側の山裾の現有田町。当伝説の配役は下記のとおり。 詳しくはLinks③ を参照のこと。

大蛇
天童岩(黒髪山山頂)を7巻き半も巻きつけるほどの大蛇。七(また)の角を振り、『黒髪山』を駆け回り、麓の村で田畑を荒らしたり、村人を襲ったり、挙句の果てには神社まで壊さんかと、大暴れを繰り返していた。
後藤助明
第3代領主。大蛇退治のリーダー。大蛇退治を朝廷に相談し鎮西八郎為朝と共に立ち向かった。黒髪山山内に住吉城を構えていたようだ。
万寿姫
高瀬(現在の武雄市西川登町)に住んでいた女性。大蛇をおびき寄せる為に自ら「人身御供」となった。大蛇退治が終わった後は殿様からの沢山の褒美を受け、幸せな結婚をした。その弟は高瀬の村を褒美に与えられた。
鎮西八郎為朝(ちんぜいはちろうためとも)
八人張りの大きな弓に 長い矢をつがえ、大蛇の背中をめがけて矢を放ち重傷を負わせた武将。
梅野の座頭(盲僧)
大蛇の喉首を切って落とし、遂にとどめを刺した。

この伝説と関連し、唐津街道沿いの駒鳴峠の峠の名の元になったという話がある。

上宮一の鳥居

上宮一の鳥居遠景(肥前鳥居)
上宮一の鳥居遠景(肥前鳥居) 
束額(円形の図柄があしらわれている) - 上宮一の鳥居
束額(円形の図柄があしらわれている) - 上宮一の鳥居 
上宮一の鳥居 - 後ろより撮影
上宮一の鳥居 - 後ろより撮影 
鳥居の上の旧参道
鳥居の上の旧参道 
多くの杖- 上宮一の鳥居
多くの杖- 上宮一の鳥居 

安永6年(1777)石橋助右衛門長英の寄進によって建てられた肥前鳥居。

束額には図柄が描かれている。

鳥居の柱の脇には多くの杖が置かれている。 旧参道がここから復活している。昔のままのようだ。

上宮ニの鳥居

上宮ニの鳥居(肥前鳥居)
上宮ニの鳥居(肥前鳥居) 
上宮ニの鳥居 - 裏手から撮影
上宮ニの鳥居 - 裏手から撮影 
束額(「黒髪山大権現」銘) - 上宮ニの鳥居
束額(「黒髪山大権現」銘) - 上宮ニの鳥居 
上宮ニの鳥居脇の石塔(「延寶五年丁巳(1677) 獨法界 僧正覺遍 暮春二十一日」銘)
上宮ニの鳥居脇の石塔(「延寶五年丁巳(1677) 獨法界 僧正覺遍 暮春二十一日」銘) 
上宮ニの鳥居先の旧参道 - 上宮ニの鳥居を背にして撮影
上宮ニの鳥居先の旧参道 - 上宮ニの鳥居を背にして撮影 
上宮ニの鳥居に登る参道(鳥居はここより20m弱の所)
上宮ニの鳥居に登る参道(鳥居はここより20m弱の所) 
鳥居前の旧参道(と思われる。赤丸の地点に六地蔵塔)
鳥居前の旧参道(と思われる。赤丸の地点に六地蔵塔) 
住吉城址入口付近の六地蔵塔
住吉城址入口付近の六地蔵塔 
住吉城址入口付近の六地蔵塔(拡大)
住吉城址入口付近の六地蔵塔(拡大) 

鳥居は車道脇の参道口から20m弱登った所にある。

案内板によれば、この肥前鳥居は安永6年(1777)以前に建てられたものと考えられるという。

鳥居のすぐ先に人の背の高さほどある石塔が立っている。「延寶五年丁巳(1677)獨法界 僧正覺遍 暮春二十一日」銘

鳥居入口の前の車道を挟んだ所に「住吉城址」の看板がある。 旧参道は住吉城址入口の脇を通り、車道をまたいでこの鳥居をくぐって上宮に向かうようだ。

住吉城址入口付近の杉木立の中では六地蔵塔がみられる。多くの木々の下にもかかわらず龕部がかなりすり減っている。かなり古いもののようだ。

カザハヤ峠

ここには車道沿いに「カザハヤ峠休憩所」がある。そこより20mほど車道沿いに下った所にちょっとした駐車場がある。その脇に一対の大きな石灯籠があり、そこから旧参道が復活している。

車道から石灯籠の先をみれば、その先の参道に5-6体の石仏が立っており、参道を塞いでいるようである。

ここではなぜかカメラを使わず画像がありません。残念。すみません。

太鼓岩不動寺

太鼓岩不動寺は近代に入っての創建と思われるが、上宮への旧参道のルート上にあるようだ。

西光密寺

旧参道からの境内入口の鳥居(束額に「黒髪神社」)
旧参道からの境内入口の鳥居(束額に「黒髪神社」) 
鳥居下(前)の旧参道
鳥居下(前)の旧参道 
本堂(赤矢印が黒髪神社上宮への参道口)
本堂(赤矢印が黒髪神社上宮への参道口) 
境内の石塔・石仏群
境内の石塔・石仏群 
特別な祭祀がされるような場所(上赤丸内に石祠、下赤丸内の祭壇のような枠の中には多量の清めの塩が振ってあった) - 本堂に向かって右手坂の途中
特別な祭祀がされるような場所(上赤丸内に石祠、下赤丸内の祭壇のような枠の中には多量の清めの塩が振ってあった) - 本堂に向かって右手坂の途中 
石塔・石仏群(中央に大日如来)
石塔・石仏群(中央に大日如来) 
池園 - 本堂に向かって右手
池園 - 本堂に向かって右手 
池園内の歌碑(右下に六地蔵塔の龕部がある)
池園内の歌碑(右下に六地蔵塔の龕部がある) 
霊場額
霊場額 
本堂の扁額
本堂の扁額 
本堂前の石仏
本堂前の石仏 
石塔・石仏群 - 本堂に向かって左手
石塔・石仏群 - 本堂に向かって左手 
境内風景(正面中央が本堂、右手に大師堂。木に隠れて見えません)
境内風景(正面中央が本堂、右手に大師堂。木に隠れて見えません) 
尊覚碑(台座を含めて2m超) - 本堂脇の上宮への参道を少し登った所
尊覚碑(台座を含めて2m超) - 本堂脇の上宮への参道を少し登った所 

境内には本堂・大師堂がある。大師堂の脇には広い駐車スペースがある。 本堂に向かって右手には池園があり、本堂の左右には多くの石塔・石仏が見られる。

本堂前の案内板によれば、この本堂は「寺屋敷跡(大智院西光密寺跡)」と記されている。

旧参道から境内に入る所には束額に「黒髪神社」と刻印された鳥居がある。

本堂に向かって右手坂の途中に特別な祭祀がされるような場所がある。清めの塩が多量に振ってあった。

本堂に向かって右脇から上宮へ登る参道が始まる。 車ではここまでは登れるが、これから先は徒歩となる。

上宮から下ってくると、境内で2人組の初老と思しき女性の登山者と出会う。 「これから頂上までですか?」と声をかけると、北隣りの山から下りて来てまたこの黒髪山に登るとの事。恐れ入り屋の鬼子母神!

境内にはトイレ完備。

西光密寺から黒髪神社上宮への参道

参道 - 西光密寺→上宮
参道 - 西光密寺→上宮 
参道 - 西光密寺→上宮
参道 - 西光密寺→上宮 
石段 - 西光密寺→上宮
石段 - 西光密寺→上宮 
石段(拡大、「宝暦戊寅(1758)銘」) - 西光密寺→上宮
石段(拡大、「宝暦戊寅(1758)銘」) - 西光密寺→上宮 

西光密寺から黒髪神社上宮へは道なりに150m前後である。

途中に白山宮を経由するルートと上宮へ直接登るルートに枝分かれする。 作者は登りは前者を下りは後者を通った。

短い坂道だが非常に長く感じた。 遠くから登山者の声が時々聞こえてくるが、山中は作者一人。 運動不足で息が切れて心細い。 途中、イノシシが掘ったと思われる痕跡も見られる。

ここで作者が不思議な体験をした。 石段を登って行くと後ろから「ゴロンゴロン」という音が聴こえる。 振り向くが後ろには動物も人間も居ない。 この現象を、2度、別々の場所で経験した。 下宮では、しっかり登山安全祈願してきたのに神様が何か怒っておられるのでは。。。。

その現象が起こった所を帰り(下り)も通ったが、その現象は再現しない。

後でこの「現象」について考えてみたが、どうやら石段の基礎がグラグラしており、 作者が通った時にその石が傾いて、通り過ぎるとその傾いた石が元の位置に戻る音が聴こえていたのかもしれない。

参拝の時には、石段の上を走って登ったり下ったりしない事が無難である。 当然、この地は神聖な霊域なので静粛な参拝が基本である。

白山宮

白山宮社殿
白山宮社殿 
白山宮社殿前から見る黒髪山山頂
白山宮社殿前から見る黒髪山山頂 
白山宮境内から黒髪神社上宮に登る石段
白山宮境内から黒髪神社上宮に登る石段 

参道脇の道標によれば白山宮は黒髪神社の摂社。 「摂社」とは末社よりも格式が高いといわれる。

黒髪神社上宮の真下の位置である。 境内の端に黒髪神社上宮に登る石段がある。

黒髪神社上宮

黒髪神社上宮の社殿(岩穴の中)
黒髪神社上宮の社殿(岩穴の中) 
黒髪神社上宮社殿上の頂上
黒髪神社上宮社殿上の頂上 
黒髪神社上宮社殿前の石段
黒髪神社上宮社殿前の石段 
黒髪神社上宮境内への石段(この上が境内)
黒髪神社上宮境内への石段(この上が境内) 

上宮の社殿は岩穴である。 扉は施錠されており、内部を覗くが暗くてあまり見えない。

社殿の上(天井にあたる)は黒髪山山頂である。

境内からの眺めは周囲の木々に視界を阻まれあまりよろしくない。

山頂にも登れるようだが、気力・体力が続かず登頂を断念。残念。 山頂からは360°の風景が見えるのだろう。

と、思ってYoutube動画を検索してみれば、山頂までは鎖道(くさりみち)のようだ。 作者の気力・体力だと無理。右に動画を貼っておきます。

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