bukki 十三塚大師堂(じゅうさんづかだいしどう) 不詳 JYUUSANNDUKA-DAISHIDOU 長崎街道 六地蔵塔

住所・電話
〒849-2201 佐賀県武雄市北方町大字志久3653   標高:11.2m MAP GMAP
検索
同地区同宗派(13)  4km以内  関連寺院(1)  周辺のスポット(3)

歴史

大師堂前の案内板の内容を下に記す。

ここは、長崎街道、十三塚

この十三塚は中世において現在の北方一帯を支配していた橘渋江氏(たちばなしぶえし)の終焉の地である。 龍造寺氏との戦いに敗れた橘渋江一族100余名が、ここ十三塚で亡くなったことが「水江事略(すいこうじりゃく)」という古書に記されています。 また、江戸時代の記録によると諫早一揆(いさはやいっき)の際に亡くなった、5人の村長を祀ったという供養地蔵尊[1]が今でも残っています。

地名になった十三塚[2]は、十三仏信仰の遺跡として、室町時代に建立されました。 そのうち7基は、その時代の建立で、あと6基は後世に建立されたものです。 この地には稲主神社(いなぬしじんじゃ)と十三塚にまつわる伝説があります。

他にも、十三塚登口[3]と境内にそれぞれ六地蔵塔が安置されており、地蔵堂[4]の六地蔵塔には「永禄13年1570」の銘が入っています。またこの地より東北に約150mほど行った地蔵堂の位置に、かつて一里松がありました。

謝辞:当大師堂周辺の位置関係については墓地内で墓碑に花を手向けられていた地元の古老の女性が手を休めて教えて頂いた。感謝感謝(以下この女性を「A女史」と呼ぶ)。ちなみにA女史は永源寺の檀家だという。

当大師堂は永源寺が祭祀しているという。

大師堂の裏手(北側)の道は長崎街道である。

御堂の天井に「大師堂」と表記され、当地の西側に十三塚があるため、御堂名を「十三塚大師堂」と仮称しました。 御堂前の案内板には「地蔵堂」と表記されている。

ひとくちメモ

大師堂内には、弘法大師・観音菩薩・勢至菩薩が安置されている。 皆石仏である。

十三塚は広大な墓地の中にある。墓地全体は手入れが行き届いており見通しも良い。

写真

  • 祭壇(向かって左から弘法大師・観音菩薩・勢至菩薩)
    祭壇(向かって左から弘法大師・観音菩薩・勢至菩薩) 
  • 勢至菩薩 - 祭壇に向かって右端
    勢至菩薩 - 祭壇に向かって右端 
  • 「大師堂改築寄進者名簿」(平成9年1月銘)
    「大師堂改築寄進者名簿」(平成9年1月銘) 
  • 天井の改築銘
    天井の改築銘 
  • 大師堂前の風景(この坂を登ると十三塚がある)
    大師堂前の風景(この坂を登ると十三塚がある) 

十三塚

①十三塚(赤丸のもの)
①十三塚(赤丸のもの) 
②十三塚(手前の4基のうち向かって右から2基目には明和3年(1766)銘が確認できる)
②十三塚(手前の4基のうち向かって右から2基目には明和3年(1766)銘が確認できる) 
③十三塚(拡大)
③十三塚(拡大) 
十三塚脇の道(十三塚は右手) - 西に向かって撮影
十三塚脇の道(十三塚は右手) - 西に向かって撮影 

右の写真の「十三塚」の位置はA女史に教えて頂いた。A女史とお会いしなかったらこの場所はわからなかった。

写真①が室町時代のものと思われる。 写真②③の塚のひとつに明和3年1766銘が確認できる。後世に建立されたもののようだ。


笠石の欠落した六地蔵塔

六地蔵塔
六地蔵塔 
六地蔵塔(拡大)
六地蔵塔(拡大) 
六地蔵塔前の道(右手に六地蔵塔) - 西に向かって撮影
六地蔵塔前の道(右手に六地蔵塔) - 西に向かって撮影 

Google Map上はこの六地蔵塔の所には道が無いように描かれているが、道幅1mほどの小道が通っている。

笠石が無い為、龕部がかなりすり減っている。周辺は草が刈られており、お参りの方もおられることがうかがえる。


武雄市の水害

A女史にこの周辺のお話を伺った時に、2019年8月28日未明から発生した水害の話を少し伺った。 この地区も大被害。幸いA女史のご自宅は高台で無事であったが、低い所の住宅は皆水につかり、家財道具はほとんど廃棄処分となったという。 全国から支援に来たボランティアにはすごく感謝されていた。

作者は、街道沿いにこの周辺を歩いたが、所々にその爪痕が残っていた。 表向きは平穏な町に見えても、地元の方々はその後処理で苦労されているようだ。(記)

脚注

関連寺院(※過去に関連していた寺院も含みます。必ずしも現在関連している寺院とは限りません。)

周辺のスポット(4km以内)

周辺の寺院・仏教施設は当ページの上部の検索の項の「4km以内」のボタンをご利用下さい。