heritage 大悲山 楊柳寺(ようりゅうじ) [楊柳禅寺] 曹洞宗 伊藤氏参拝済 佐賀新四国八十八ヶ所霊場第56番

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〒840-0034 佐賀県佐賀市西与賀町厘外720   標高:5.5m 地図 GMAP 0952-24-6923 
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歴史

伊藤氏メモ創建は慶長3年(1599)。本尊は楊柳観世音菩薩。 かつて佐賀藩祖鍋島直茂が征韓の役に出陣し凱旋の後、大病に罹り日々重態に陥ったので、臣等一同は、日頃直茂の信仰が篤かった楊柳観音に平癒祈願を籠めたところ、数日の後、霊夢のお告げで、鋤崎(川副地区)海中に観世音が海底に埋没していることを知り、これを迎えて霊地を選び、一宇の伽藍を建立した。慶長3年のことであった。 それ以降、直茂の病状は俄かに改り、同所を大悲山楊柳寺と命名したと伝えられる。

元和4年(1618)直茂の没後は、佐賀藩初代藩主鍋島勝茂の宰領となり、祭祀の俸禄、堂宇の建築修営等の規定が設けられ、毎年例祭が執行された。 爾来鍋島家歴代の精霊祭を厳修することが続いたが、明治維新の改革(1871年廃藩置県)後は、藩主からの待遇は中絶され、寺勢は次第に衰退し、明治27年(1894)頃は堂宇は全く廃れ、寺院としての形骸を留めるのみとなっていたが、15世住職早崎徳仙師が由緒歴然たる楊柳寺の衰退を嘆じ、憤然として起ち、その復興に専念努力すること多年に及び山門の隆昌を見るに至った。  

ちなみに、開山は「葉隠」の傑僧湛然梁重大和尚高伝寺11代住職)であり、山本常朝も膝下で得道、仏道を修行した。 当寺は平成17年に新築された。 (「ブログ/さがの歴史・文化お宝帳」の要約)()

町名:「西与賀町厘外」は「にしよかまちりんげ」と読む。

ひとくちメモ

未参拝の為未稿。

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