bukki 大龍山 天祐寺(てんゆうじ) [天祐禅寺] 曹洞宗 ☆☆☆ 伊藤氏参拝済 佐賀新四国八十八ヶ所霊場第44番

住所・電話
〒840-0842 佐賀県佐賀市多布施3-13-15   標高:8.3m 地図 GMAP 0952-24-1706 
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歴史

伊藤氏メモ天祐寺は、龍造寺隆信嫡孫・龍造寺高房の菩提のために、肥前佐賀藩の藩祖鍋島直茂が元和元年(1615)に建立した寺である。当寺は、佐賀藩中興の祖・8代藩主鍋島治茂の改革を支え叡智といわれた、近世佐賀を代表する学者・石井鶴山の菩提寺であり、鶴山の墓碑(髪塚)がある。(「説明案内板」及び[404]「佐賀鍋島藩石井家オフィシャルウェブサイト/HP」より)()

伊藤氏メモ創建以来この地にあり、現第31世。 『日新校区史跡ガイドマップ』には、次のような記載がある。()

藩政時代には、曹洞宗八ヶ寺の一つで、藩主といえども門前下乗の格式が与えられていた。また、佐賀城の支城として建立されただけに、寺内の規模も広大であった。 明治4年(1871)、龍造寺・鍋島両家に縁故のある各寺の墓碑一切が高伝寺(市内本庄町)に集められたとき、龍造寺高房の墓碑も移された。昭和初年、改築整理されたが、なお由緒ある寺としての風格を備えている。

門前の水路は十間堀の遺構である。

町名「多布施」は「たふせ」と読む。

ひとくちメモ

山門から本堂への通路には菱形の石が並んで配置されている。この通路の曲がり具合も良い。 本堂の前には梅の大株がみられる。

山門から入ってすぐ左手の区画は特別な領域のようだ。 入口には石門があり、区画内には観音・大黒・尊名不詳の石仏・石祠・石塔が祀られている。

山門の左手の塀の外側には石祠・石塔が祀られている。

写真

  • 本堂
    本堂 
  • 鍋島杏葉紋(左)と変わり十二日足 - 本堂前面の扉
    鍋島杏葉紋(左)と変わり十二日足 - 本堂前面の扉 
  • 門前の案内板
    門前の案内板 
  • 聖観音
    聖観音 
  • 本堂前のウメの大木
    本堂前のウメの大木 
  • 石門 - 山門を入って左手
    石門 - 山門を入って左手 
  • 左手より観音・大黒・尊名不詳の石仏 - 石門内側の領域
    左手より観音・大黒・尊名不詳の石仏 - 石門内側の領域 
  • 石祠・石塔 - 石門内側の領域
    石祠・石塔 - 石門内側の領域 
  • 門前の石塔群
    門前の石塔群 
  • 門前の石塔の中央の石仏
    門前の石塔の中央の石仏 

十間堀(じゅっけんぼり)

門前の風景 - 右手に天祐寺、左手の前後方向に十間堀跡
門前の風景 - 右手に天祐寺、左手の前後方向に十間堀跡 

十間堀とは清心院の南側と天祐寺の門前を結んだ東西方向のほぼ直線状に構築された堀のことである。 堀の南側には土塁が築かれていた。 北からの敵から佐賀城を防衛する為に掘られたもの。 佐賀城の「外堀」の役割をはたしていた。

堀が構築された当時は幅が10間(≒18m)あったことから、「十間堀」と呼ばれた。

この堀の東西に位置する清心院と天祐寺は陣屋的な役割をはたしていたものと考えられる。(以上 Links① より)

天祐寺の門前にも十間堀の遺構が、か細い水路として残っている。 右画像の左手の前後方向の白いガードレールに沿った水路である。

Links① に承応3年(1654)の「佐賀城廻之絵図」の模式図が掲示されている。

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