仏旗 南里山 多聞院(たもんいん) 浄土宗[未]  TAMONIN TEMPLE 伊藤氏参拝済

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〒840-2205 佐賀県佐賀市川副町南里1996 標高:4.5m MAP GMAP 0952-45-1845
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多聞院 | さがの歴史・文化お宝帳

歴史

伊藤氏メモ以下は、『佐賀百寺巡拝』による。

元享元年1321の創設。開基は法蓮社満恵上人願海。 同じ川副町南里の正定寺を開いた満恵上人が、晩年、正定寺を高弟・重恵に譲り当院を建立し、隠居したもの。 満恵上人は115歳で入寂という長寿僧であった。

当地の土豪であった南里家歴代の墓がある。本堂脇の松は数百年の樹齢という。()

ひとくちメモ

伊藤氏メモ寺院入口南側の外壁は茶色のレンガ塀が東西に広がる。また、境内に立つ樹齢数百年という松の木は相当の樹高があり、遠くからもよく目立つ。

歴代の墓がある当地の土豪であった南里家については、『歴史散歩 西川副』に以下のような記載がある。

鎌倉時代初めまで、干潟荒野として広がっていた南里の南面一帯は、元久3年1205松浦党の一派を称する源有宗の入植によって干拓が開始されたという。

しかし、有明海を控えた低湿地の開墾は容易ではなく、南北朝時代の貞和2年1346ようやく一段落がつき、当時の荘園領主であった高城寺(大和町久池井)へ年貢米納付の約定を送っている。

南里開拓の先鞭をつけたこの松浦党の一派は代々南里氏を名乗り、東南里の多門院に隣接して館を構えた。

その後、南里一族は龍造寺家さらには鍋島家の有力家臣として戦国の世を生き、近世に至るまで集落内で重きをなしていた。

南里氏の末裔は大正時代頃まで西南里に居住し、西川副村町なども務めた。()



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