醫王山不断院 正定寺 浄土宗[未] SYOUJYOUJI TEMPLE 行基 川副七薬師第5番 伊藤氏参拝済
歴史
Linksなどによれば、天平年中729−748、島原雲仙岳に来錫中の行基が、 疫病に苦しむ川副郷民の請を入れて、この地に来て、薬師如来像7体を刻み、7ヵ所に安置し修法、疫病を終息させた際の薬師如来像を安置。 はじめは法相宗で不断院と号していた。 建長6年1254法蓮社満恵上人願海が醫王山不退院ママ正定寺と改めた。
寛永年間1624-1645佐賀藩初代藩主鍋島勝茂のとき、その内室高姫(戸田勝隆娘)の葬儀・中陰を行い寺領が寄進されている。 寺は明治維新に至るまで鍋島家の厚い保護を受けていたという。
ひとくちメモ
伊藤氏メモ創建以来この地にあり、現第50世。
赤く塗られた四脚門が目を引く。本堂の祭壇左にある厨子に川副七薬師第5番の薬師如来像が安置されている。住職にお願いしたところ、厨子を開けてこの尊像を拝仏させてくださいました。秘仏とはしていないとのことでした。本像は、他の七薬師とは異なり、立像ではなく坐像の仏像である。(2019-02-10)