仏旗 日峯山 宗智寺(そうちじ) [宗智禅寺] 曹洞宗[未]  SOUTIJI ZEN TEMPLE 伊藤氏参拝済

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〒840-0842 佐賀県佐賀市多布施4-4-3 標高:7.2m MAP GMAP 0952-22-9018
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宗智寺 | さがの歴史・文化お宝帳

歴史

伊藤氏メモ元和4年1618高伝寺(市内本庄町)7世の不鉄により開山。先代29世が亡くなった後は、水月寺(市内精町)住職であるご長男が、当寺の住職を兼務している。本尊は釈迦如来で、脇侍の文殊菩薩と普賢菩薩は林長右衛門国次の作と伝えられる。

大正6年1917直茂公の三百年祭の記念行事として本堂・庫裏と直茂の銅像を建立した。 銅像は昭和20年1945終戦直前に強制徴収された。 戦前は、この地一帯は多布施の銅像園と称され、杉並木・プール・池などがあり、本堂の前には直茂の銅像が雄姿を誇り美しい景観を呈する市民の憩いの場として親しまれていた。

昔はこの辺り一帯は直茂の館の敷地であったのであろうが、現在は住宅地となり、その面影は遺されていない。 古いクスノキが立っている以外には、わずかに本堂左手の境内の端に当時の館建物の礎石らしきものが遺されているのみである。()

伊藤氏メモ肥前佐賀藩藩祖・鍋島直茂は、慶長15年1610、73歳で家督を嫡子勝茂(初代藩主)に譲り多布施の館に隠居した。 館での晩年、直茂の耳に小さなイボができ、どうにか取り除いた後もその跡から汁が流れ出て止まらず、治療に手を尽くしたもののよくなることはなかった。 このため、直茂は、「天下に名を知られている自分が、皮膚が(ただ)れて養生が叶わなかったと云われることを思うと、早く死を迎えたい」と、食事も薬も取ろうとしなくなった。そして元和4年1618、延命を望む周囲の願いも届かず81歳で亡くなった。

直茂は死に臨み、この多布施の館に逆修(生前あらかじめ死後の仏事を修めること)の墓碑を建てるとともに、この地を寺地に取り立て自らを埋葬するように遺言した。 これは、「もし乱世になって、他国より佐賀へ敵が押し寄せてきたときは、北への守りが特に大切である。 自分がここに埋まっていれば、家中の者はこの地を敵の馬の蹄に懸けまいと奮戦し、城下に敵を入れることなく持ち堪えられる」との賢慮があってのことだと伝えられている。

藩主勝茂は、直茂の菩提のためにこの多布施の館に寺を建立し、直茂の法名「日峯宗智大居士」にちなんで山号を日峯山、寺号を宗智寺とした。直茂は、現在でも「日峯」という名称で親しまれている。

なお、直茂の墓碑には、「鍋嶋加賀守豊臣朝臣直茂」との銘が刻まれている。 この墓碑は明治になって宗智寺から鍋島家の菩提寺である高伝寺(本庄町本庄)に移され、陽泰院(直茂夫人)の墓石と並んで立てられている。(『市報さが(平成15年10月15日号)』などより)()

Linksのページによれば、山口市の瑠璃光寺はかつての本寺であったようである。

ひとくちメモ

未参拝の為、未稿。


関連寺院(※過去に関連していた寺院も含みます。必ずしも現在関連している寺院とは限りません。)