heritage 瑞雲山(ずいうんざん) 宗源院(そうげんいん) [宗源禅院] 曹洞宗 ☆☆☆ 神代勝利

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〒840-0211 佐賀県佐賀市大和町大字東山田3200-190   標高:13.5m 地図 GMAP 0952-58-2788 
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歴史

本尊 薬師如来。玉林寺末。神代勝利(1511-1565)代、玉林当院開山天陽禅師(永禄5年(1562))の開山。 第2代禅閑禅師の入寂が宝暦6年(1757)であることから、長年無住後再建されたものとみられる。 第22代高雲和尚未亡人昭園美芳禅尼が法域を護っていたが平成8年(1996)死去、その後無住。

堂宇の背後高燥の地に勝利の墳墓がある。法名「前和宗大守覚誉堅利大禅定門」。

当院には若き日の閑室和尚(1548-1612)が勉学の為滞在したとも伝わる。 (『富士町史』p415より)

平成8、9年頃、嘉瀬川ダム建設により水没するため、現在地に移転。 多くの寺の周辺住民も現在の地周辺に移転してきたという。(神代勝利墓碑脇の案内板より)

神代勝利の墓はページ最下部に掲示している。

近在の方のお話によれば、現在は杵島郡白石町の東楽禅寺の住職が兼務されているとのこと。

ひとくちメモ

現在の堂宇は瓦葺きの立派な堂宇となっている。 境内には宗源院再建記念碑・観音堂・梵字石・三界萬霊塔などがみられる。

参拝のおり、近在の住宅前で庭の手入れをされていた古老の方と少し立ち話。 当院が神代氏ゆかりの寺ということをご存知だった。この方も一緒に移転してきたのだろう。

写真

  • 遠景
    遠景 
  • 表札
    表札 
  • 観音堂
    観音堂 
  • 境内風景 - 本堂を背にして撮影
    境内風景 - 本堂を背にして撮影 
  • 観音菩薩 - 観音堂内
    観音菩薩 - 観音堂内 
  • 観音堂の装飾(移転前の部材と思われる)
    観音堂の装飾(移転前の部材と思われる) 
  • 観音堂の装飾(移転前の部材と思われる)
    観音堂の装飾(移転前の部材と思われる) 
  • 三界萬霊塔
    三界萬霊塔 
  • 梵字石
    梵字石 
  • 「宗源院再建記念碑」(平成11年3月吉日銘)
    「宗源院再建記念碑」(平成11年3月吉日銘) 

神代勝利の墓所(嘉瀬川ダム湖畔)

神代勝利の墓は現在は嘉瀬川ダムの畔にひっそりと立っている。

墓所は道路に沿った細長い領域である。そこからは、当院のあったダムを見下ろすことができる。 駐車場の片隅に移転前に当院の前にあったという六地蔵がひっそりとさみしげに立っている。

  • 神代勝利墓 - 後より撮影
    神代勝利墓 - 後より撮影 
  • 神代勝利墓周辺の五輪塔群
    神代勝利墓周辺の五輪塔群 
  • 境内風景 - 神代勝利墓を背にして撮影
    境内風景 - 神代勝利墓を背にして撮影 
  • 嘉瀬川ダム
    嘉瀬川ダム 
  • 世代墓
    世代墓 
  • ダム内(案内板によれば、当院があった場所は写真中央付近と思われる)
    ダム内(案内板によれば、当院があった場所は写真中央付近と思われる) 
  • 六地蔵(移転前の宗源院前にあったものという。(『富士町史』p543),2019-06-09)
    六地蔵(移転前の宗源院前にあったものという。(『富士町史』p543),2019-06-09) 
  • 六地蔵(拡大)
    六地蔵(拡大) 
  • 六地蔵(拡大)
    六地蔵(拡大) 
  • 六地蔵 - 遠景
    六地蔵 - 遠景 
  • 遠景(墓所は写真中央付近。左手はダム湖)
    遠景(墓所は写真中央付近。左手はダム湖) 
  • 移転前の宗源院(『大和町史』p415より引用)
    移転前の宗源院(『大和町史』p415より引用) 

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