寶塔山
親正寺
日蓮宗
★☆☆
紅葉
伊藤氏参拝済
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- 〒840-0203 佐賀県佐賀市大和町大字梅野267-2 標高:35.3m 地図 GMAP 0952-62-0066 ホームページ
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歴史
案内板の内容を記載する。
寶塔山は、英僧日親上人と軍神加藤清正との合刻よりなる巨岩の大宝塔を本尊とす、右側には 二丈八尺の「白糸の滝」があり、左側には「日親上人血洗いの霊水」がある。
そもそも日親上人は、千葉県法華経寺第三世日祐上人の法脈を継ぎ「身軽法重死身弘法」の大誓願をたて 応永32年(1425)19歳の時、九州布教を発願されて各所にその法蹟を残し、 ここに下種血縁の為巨岩の大宝塔彫刻の傍ら、 辻説法中俄におこる異教徒の迫害その度を加え、上人は血に染みながら岩間より滴る清水で血痕を洗い遺憾ながら 「蓮の辶」を彫り残されたまま中止されて京都に帰られる。 後に、「日親上人血染めの宝塔」と称される。
その後、150年誰も知る人もなかったが、 文禄元年(1592)加藤清正公朝鮮出陣の本陣名護屋城に 赴く途中、都渡城の山峡にて、突如乗馬前膝を折りいなないて進まず、 公は憤り叱咤しつつ飛び降りざま、片鎌の鎗先に絡まる蔦葛を切り払われた岸壁に、奇しくも南無妙法蓮と 彫塑の大宝塔を発見され、その不思議なる感応にうなずきながら、忽ち華経の二字を書き添え、 築城の勇士に命じて彫刻を急がれたが、経の文字に至り奇妙な火花を散らすので、 「蓮の字と共に経の字を彫り残せよ」と仏命ならんと、その彫刻を中止され奇端な彫塑として後世に残る。 この地を膝折坂と言い、「清正公鎗先の題目」と称す。 斯くの如く由緒深き大宝塔は、その類例なく霊験甚だ顕著なり。
佐賀県立公園 川上峡 寶塔山親正寺
ひとくちメモ
親正寺は川上温泉峡の嘉瀬川の絶壁にはりつくように伽藍を構えている。
。 長崎街道の牛津宿の取材の為に福岡より三瀬峠越えで向かっている途中、 偶然親正寺前を通り、お参りすることができた。
親正寺の歴史は上のとおりであるが、日蓮宗の僧侶の命がけの布教の一端が読み取れる歴史のある寺院である。
寺の東側の坂道を登った所には川上観音堂がある。こちらもお見逃しなく。
写真
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