宝樹山
龍津寺
黄檗宗
★☆☆
H
売茶翁
六地蔵塔
伊藤氏参拝済
歴史
伊藤氏メモ元禄16年(1703)に鍋島藩池藩2代藩主直之の庇護を受けた化霖道龍(1634-1720)が開山。 昭和20年(1945)8月の空襲で焼け、現在は仮本堂に本尊が祀られており、佛心寺(佐賀市大財)が兼務している。
売茶翁こと月海元昭(1675-1763)が化霖道龍の下で学んだ寺であること[1]、また同じく長崎で国照(思靖)に師事して中国語をはじめ儒学を習った大潮元皓(1676-1768)が第3代住職となった寺院であることなど文化的に重要な位置にあった寺院である。 売茶翁顕彰碑・大潮元皓の墓石がある。(『佐賀百寺巡拝』などより)()
ひとくちメモ
伊藤氏メモ参道開始部には、文政元年(1818)銘の古い六地蔵塔が立っている。 両脇は田畑となっている細く真っすぐな参道部を数十mほど進むと境内域に入る。
入ってすぐの所に「龍津寺と高遊外売茶翁」と題された案内板が立っている。 さらに、仮本堂側少し先には「売茶翁顕彰碑」が立っている。 また、鎌倉より当地に来て居を構え活躍した豪族・小田資光の墓もあり説明書きの案内板が立っている。
古くからの墓も多くあり、歴史を感じる場である。アゲハチョウやテントウムシも見ることができた。()
寺の周囲はクリークで囲まれている。境内には多数の石仏・石碑・石塔がみられる。 参道口から境内を眺めて寺が華やかなりし頃の風景を想像するのも良い。 昔懐かしさを感じさせるお寺である。
売茶翁顕彰碑は未確認。残念。
写真
仮本堂 - 西側より撮影 仮本堂の荘厳 仮本堂 六地蔵塔(拡大) 小田資光の墓 境内の石碑・古墓碑群 小堂 小堂内 石仏群 - 仮本堂前 石仏 - 仮本堂前 樹形の良い大木(樹名不詳) 門前の風景(左手に参道が見える) - 東に向かって撮影 境内西側のクリーク(藻が繁茂している) 北側の変わった樹形のイチジク(「臥龍梅」ならぬ「臥龍イチジク」)
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