heritage 普門山 苗運寺(みょううんじ) [苗運禅寺] 曹洞宗 ☆☆☆ 坐禅 写経 長崎街道 六地蔵塔 精進料理 伊藤氏参拝済 佐賀新四国八十八ヶ所霊場第2番

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〒840-0862 佐賀県佐賀市嘉瀬町大字扇町2389   標高:4.6m 地図 GMAP 0952-23-2642 
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歴史

伊藤氏メモ1640年代創建の現第23世。元々は市内鍋島町にあったものが移転してきたという。本堂は昭和60年(1985)の完工。古賀清右衛門の墓が本堂裏手にある。()

伊藤氏メモ龍造寺隆信は永禄元年(1558)、蓮池の小田氏を攻め、小田氏の流れをくむ深町光運は戦死した。 しかし、隆信は武勇の誉れ高かった光運の死を惜しみ、その子・苗運に現在の佐賀市鍋島町深町に領地を与えた。 苗運はこの地で一宇を建立し、先祖の菩提を弔った。深町の地名も苗運から起こっている。

当寺は現在嘉瀬町にあるが、これは元禄年間(1688-1703)に改移転してきたものである。(『佐賀百寺巡拝』より)()

伊藤氏メモ日経新聞(2016年9月30日)に「絨毯(じゅうたん)のルーツ 緞通(だんつう)の美」と題された以下のような記事(抄)が掲載されている。

●肌触りの良い木綿の敷物「緞通」。江戸時代中期に長崎の中国人から伝えられた技術を基に佐賀で生まれた「鍋島緞通」が発祥といわれる。蟹牡丹や唐草の文様が特徴で、元禄時代(1688-1704)に藩主鍋島家から将軍家への献上品に指定されて技術を磨いた。大坂や兵庫に伝わり「堺緞通」「赤穂緞通」を生み出すなど日本の絨毯のルーツのような存在だが、献上品のため数が限られ、詳細はよく知られていない。

緞通の由来と伝承が書かれた唯一の記録は、佐賀市嘉瀬町扇町の苗運寺に明治17年(1884)に建てられた通称「緞通碑」だ。 江戸中期に同地の農民であった古賀清右衛門を中心に「扇町紋氈(もんせん)を始めたこと。 それが、第3代藩主鍋島綱茂によって藩の御用品に指定され、一般の売買が禁じられたこと。やがて明治期に市販が許され、人気を博したことなどが記されている。()

門前は、長崎街道である。

ひとくちメモ

山門をくぐって右手には六地蔵尊と2基の六地蔵塔がある。 緞通碑はその前である。 古賀清右衛門の墓所は未確認。

門前の長崎街道(現国道207号線)は道路拡張の為、道幅が広くなっており当時の面影は無い。

写真

  • 全景(左右方向の道は長崎街道)
    全景(左右方向の道は長崎街道) 
  • 境内風景 - 本堂を背にして撮影
    境内風景 - 本堂を背にして撮影 
  • 六地蔵と六地蔵塔
    六地蔵と六地蔵塔 
  • 六地蔵塔
    六地蔵塔 
  • 六地蔵塔
    六地蔵塔 
  • 大師堂(佐賀新四国八十八ヶ所霊場第2番)
    大師堂(佐賀新四国八十八ヶ所霊場第2番) 
  • 門前の長崎街道(右手が苗運寺) - 牛津宿に向かって撮影
    門前の長崎街道(右手が苗運寺) - 牛津宿に向かって撮影 

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