heritage 小倉山(おぐらさん) 妙念寺(みょうねんじ) 浄土真宗本願寺派 伊藤氏参拝済

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〒840-0812 佐賀県佐賀市愛敬町6-19   標高:6.5m 地図 GMAP 0952-23-3252 
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歴史

伊藤氏メモ寛文4年(1664)の創建。開基は佐賀鍋島藩2代藩主鍋島光茂。乳母であった小倉の局の十三回忌にその菩提を弔うため、光茂の発願により建立された。現第16世。 当山の山号・小倉山は、この局の名にちなんだものである。 小倉の局については、『佐賀新聞(平成13年1月26日)』に次のような話が載せられている。

初代藩主鍋島勝茂を継いで、次期藩主となるべき嫡男忠直は天然痘のため23歳の若さで亡くなった。 忠直にはまだ幼い子の翁介(おうすけ)(のちの光茂)がいたが、勝茂は次の藩主として忠直の弟・直澄(なおずみ)(のちの佐賀蓮池藩祖)を考えていた。嫡孫であったが当時まだ4歳の翁介を次の藩主にすることは考えられなかったのであろう。

ある日のこと、江戸の佐賀藩邸に幕府の老中が招かれてやって来た。このとき勝茂は次の藩主として直澄のことを話そうと予定していた。 そのとき突然、翁介の養育係の乳母・小倉が勝茂の許可も受けず、幼い翁介を抱いて現れ、「忠直の忘れ形見」と翁介を老中たちに紹介した。 佐賀小城藩主の鍋島元茂と打合せの上のことであったが、藩主勝茂を無視した小倉の命をかけた行動であった。

「このような御子があるとは知らなかった、よいお世継ぎがおありだ」という老中の言葉で、翁介が次期藩主になるべき存在であることが、幕府に認められたことになったのである。

小倉は翁介の養育に心血を注ぎ、食事には、無事育つよう干物のお汁と花かつおばかりを食べさせ、外出のときも花かつおを持っていき、取り出して差し上げたという。 小倉は翁介が藩主になるのを見届けることなく亡くなるが、小倉の働きがなければ2代藩主は直澄がなっていたであろう。あたかも将軍家光の乳母・春日局に比すべき女性であったのである。()

ひとくちメモ

未参拝の為、未稿。

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