仏旗 見佛山浄土院 鏡圓寺(きょうえんじ) [鏡円寺] 浄土宗  KYOUENJI TEMPLE キンモクセイ 六地蔵塔 伊藤氏参拝済

  • 本堂
    本堂 
  • 参道口 - 道路の向かい側より撮影
    参道口 - 道路の向かい側より撮影 
住所・電話
〒840-0813 佐賀県佐賀市唐人1-2-17 標高:6.7m MAP GMAP 0952-25-1028 
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歴史

伊藤氏メモ唐人町の鏡圓寺は、唐人町の始祖・李宗歓一族、及び鍋島更紗の創始者・九山道清の菩提寺である。

李宗歓(りそうかん)は、天正15年1587郷里(現:朝鮮民主主義人民共和国)の海岸で舟遊びに興じていた折、突然の旋風により船が 破損し、日本(現:北九州市)に流れ着いた。 天正19年1591、太宰府にて鍋島藩家臣龍造寺家晴と成富兵庫茂安に出会い、これをきっかけに佐賀城下へ赴いたところ、藩主鍋島直茂にその才を見込まれ、重用されることとなった。 『葉隠聞書』『御用唐人町荒物唐物屋職御由緒書』によると、朝鮮遠征に同行した帰途、宗歓は主君の命を受けて陶工を6~8人連れ帰り、陶器の製造に着手した。 直茂公は慶長4年1599、宗歓が連れ帰った高麗人などを佐賀城下の十間堀川以北、愛敬嶋村に住まわせ、唐人(異国人)の住む町「唐人町」と名付けた。 宗歓は、唐物の繊維品・陶器類・金物類・海産物・荒物など日本にない珍しいものを直輸入し、これらを扱う商人が集まって、今日の唐人町の基礎を形成していった。

九山道清は、『更紗秘伝書』『江頭家系図』によれば、慶長3年1598、直茂公が朝鮮遠征より帰国する際に連れ帰った高麗人13人のうちの1人である。 道清は漢方医の家柄の出であることから、製薬の技法にも優れていた。漢方薬の原料となる薬草は染料となる植物としばしば同一のものであり、それらの高価な材料が、宗歓の海外貿易により比較的容易に入手できたことが、鍋島更紗(なべしまさらさ)の創始・発展に重要な役割を果たした。

『鏡圓寺縁起』によれば、唐人町に居住していた数十人の高麗人について、帰依する仏寺が必要になった(島原の乱以降は、宗門改めが特に厳しくなった)ため、寛永3年1626、鍋島勝茂公の姫付老女・秀島源右衛門の母の願いにより、鏡圓寺が創建[1]されたとのことである。境内には、李宗歓の墓碑九山道清の墓石がある。(『唐人町物語~唐人町と鏡圓寺~』より)()

ひとくちメモ

参道口は狭い為、少しわかりづらい。 石製の山門をくぐり、細い参道を進むと中門。 中門をくぐると広い境内である。 本堂は近代的な建物となっている。 本堂前には5株ほどのキンモクセイが満開であった。 境内には、六地蔵塔をはじめ各種石仏・石塔などがみられる。

李宗歓・九山道清の墓碑、開山専誉上人碑は、未確認。 (本堂に向かって左手の広大な墓地の中にあると思われる。)

伊藤氏メモ入口は、大正4年1915銘のある石造りのアーチ型山門であり歩道に面しているが、並びの樹木に同化してつい見逃し勝ちである。大正2年1913と昭和53年1978に火災に遭い平成4年に再建した本堂はその歴史とはうらはらに近代的な造りである。

山門前の道路を挟んだ道(中央大通り)向かいには、昭和49年1974開業のレトロな喫茶店・珈茗爾(かなじ)がある。ダッチコーヒーの味と合わせ、佐賀市では名の通った喫茶店である。 佐賀市内でこだわり本格コーヒーが飲めるおすすめの喫茶店6選 | icotto[イコット]をご覧ください。 ()

写真

  • 本堂の扁額
    本堂の扁額 
  • 山門の扁額
    山門の扁額 
  • 宝篋印塔と六地蔵塔
    宝篋印塔と六地蔵塔 
  • 六地蔵塔(拡大)
    六地蔵塔(拡大) 
  • 中門
    中門 
  • 中門 - 境内より撮影
    中門 - 境内より撮影 
  • 境内風景(5株ほどのキンモクセイが満開)
    境内風景(5株ほどのキンモクセイが満開) 
  • かわいらしい石仏
    かわいらしい石仏 
  • 喚鐘
    喚鐘 
  • 喚鐘
    喚鐘