仏旗 崇徳山(そうとくざん) 光楽寺(こうらくじ) 浄土真宗本願寺派[未]  KOURAKUJI TEMPLE 伊藤氏参拝済

住所・電話
〒840-2214 佐賀県佐賀市川副町小々森671 標高:6.8m MAP GMAP 0952-45-3190
検索
同地区同宗派寺院  4km以内
Links
光楽寺 | さがの歴史・文化お宝帳

歴史

伊藤氏メモ以下は、『川副町誌』などによる。

江戸時代末期に慧天が広江庵として創設したことに当寺は始まる。その後、哲章が崇徳庵として広江を中心に浄土真宗の教義を広める場とした。次いで、晃徳が入寺して崇徳庵を教会に改めた。

戦時は一時無住状態となったが、昭和23年1948妙福寺(佐賀市東与賀町下古賀)より住職が入寺、教会を解散し光楽寺と寺号を改め現在にいたっている。()

伊藤氏メモ創設時の広江庵は、約200数十年前に村の長老の[土地の漁業従事者と農業従事者は融和し仲良くすべし]との言により庵を造るようになったことがその始まりという。昭和23年に妙福寺より入寺した住職の子息が現住職であり、本願寺派になって第2世ということになる。本堂前にある水盆には元治元年1864の銘が入っている。(2019-04-06)

Linksのページによれば、貞応癸二未12235月善信の銘の「六字名号」を寺宝として所蔵しているという。

ひとくちメモ

伊藤氏メモ民家の間にある狭いセメント道の参道の先に民家風の造りの小さな本堂がある。以下は、寺の話と『歴史散歩 西川副』による。

当寺の北300mほどの所に八田江川に架かる今広江橋がある。この橋の下流東側の堤防付近を千人堂という地名で呼ぶ。広江地区では、明治26年1893の台風・大風で犠牲になった方々に対し、その地に供養塔を建立し御堂を建てて冥福を祈った。この供養塔は、大正期に当寺に移され、現在は昭和50年1975に改築された本堂の左前に鎮座している。()



関連寺院(※過去に関連していた寺院も含みます。必ずしも現在関連している寺院とは限りません。)