仏旗 四徳山 乾亨院(けんこういん) [乾亨禅院] 臨済宗南禅寺派  KENKOUIN ZEN TEMPLE 佐賀城址 伊藤氏参拝済

  • 本堂
    本堂 
  • 「明治7年佐賀役戦死者の墓」 - 本堂前
    「明治7年佐賀役戦死者の墓」 - 本堂前 
住所・電話
〒840-0022 佐賀県佐賀市中の館町7-11 標高:6.5m MAP GMAP 0952-23-2301 
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歴史

伊藤氏メモ佐賀城本丸歴史館と城堀を隔てた南東の地点にあり、龍造寺隆信の生誕地と隣合っている。 永正年間1504~1520龍造寺隆信の曽祖父・山城守家兼(剛忠)の創建で、その弟・天亨和尚[1]が開山。

当院には、明治7年1874佐賀の乱(佐賀の役、佐賀戦争とも)で戦死した新政府軍(官軍)の陸軍将兵が埋葬され、豪壮な大理石墓が3基並んで建てられている。右側が中隊長大池蠖二大尉以下2名の将校の墓。中央の墓には下士官20名の階級・氏名が刻まれており、左側の墓には兵卒75名と軍属9名の身分・氏名が刻まれている。3基とも背面には「明治7年佐賀役戦死者の墓」と刻まれている。 墓碑にある隊号は、熊本鎮台第11番大隊のことで、佐賀不穏の情報によって鎮圧のために派遣され、新任の岩村通俊佐賀権令とともに佐賀城に入ったが、銃火を交えて敗北した。

当院には新政府軍と戦った佐賀征韓党の実際の指導者であった朝倉弾藏(尚武)の墓もある。(『あゝ佐賀城その歴史と周辺』などより)()

ひとくちメモ

伊藤氏メモ西隣は「中の館児童遊園」と名付けられた児童公園・広場となっており、その中に高さ数mはあろうかという大きな「龍造寺隆信生誕地」の石碑が立っている。また、その石碑の左側後ろには、隆信の胎盤を納めた胞衣塚がある。()(画像は光圓寺のページにあります。)

本堂は、前面がアルミサッシの扉、屋根は素材はわからないが金属製のもの。全体的に渋い色合いである。 本堂前の巨大な「明治7年佐賀役戦死者の墓」は印象に残る。

写真

  • 本堂前面のガラス戸に貼らてた尺八ライブのポスター
    本堂前面のガラス戸に貼らてた尺八ライブのポスター 
  • 石仏(尊名不詳)
    石仏(尊名不詳) 
  • 門前の垣根(向かって右手が乾亨院)
    門前の垣根(向かって右手が乾亨院) 


関連寺院(※過去に関連していた寺院も含みます。必ずしも現在関連している寺院とは限りません。)