bukki 長谷山 観音寺跡(かんのんじあと) [円通観音禅寺・神代長良公の墓] 曹洞宗 背振千坊 神代勝利

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〒842-0301 佐賀県佐賀市三瀬村三瀬1259-1   標高:468.3m 地図 GMAP
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歴史

何時の時代に創建されたかは不明であるが、昔は天台宗の道場背振山の末寺で、長谷山の名は、和州長谷境に対比してつけられたという。文永元年(1246)に三瀬山内に来着した野田周防守清秀(三瀬氏の祖)が、杉大明神とこの寺を尊崇し、仏供糧を寄進して供養したので、周防守を開基としたこともあった。当時は杉神社の社務がこの寺の僧を兼ねたという。その後、神代家時代には、太陽山玉林寺の末山とされた。本尊は観世音菩薩で、僧春日の作といわれる。 三瀬城主、神代長良(くましろながよし)(1573-1581)はこの寺に葬られたという。

昭和38年(1963)、大雪の中、失火によって全焼し、そのすべてを失ってしまった。唯1つだけ[寛文7歳以丁未(1667)12月吉日に神代大和守武辺朝臣直長公銘入り寄進の半鐘]が村内宿の部落公民館に保存されているという。 焼失後、諸般の事情によって再建不能をもって中村・清流寺へ廃寺し合併されている。

三瀬街道沿いに参道口のある勝玉神社は「社号は観音禅寺住職大輪和尚の書になるという。」とある。(『三瀬村誌』(p724)より)

観音寺は杉神社・孫太郎観音堂脚気地蔵の祭祀も行っていたようだ。(『三瀬村誌』より)

参考:当寺の場所発見の経緯歴史検討メモを掲示する。

この寺は久しい間、尊像と御堂だけが残っていたのを、神代長良が再興、龍護院の住職であった海応和尚の中興開山と定めた。(三瀬村のパンフ)

ひとくちメモ

観音寺の参道口は脚気地蔵の参道の途中にある。 参道口より、登り坂の参道を100mほど進んだ所で、長いものの出現を恐れ、前進を断念。 冬場に再度参拝しようと思う。

写真

  • 参道口より100mほど登った所(ここで前進を断念)
    参道口より100mほど登った所(ここで前進を断念) 
  • 参道口
    参道口 
  • 参道口
    参道口 
  • 参道口前の田園風景
    参道口前の田園風景 

当寺の場所発見の経緯

宿公民館
宿公民館 
佐賀市役所三瀬支所(左手茶色の建物)と三瀬公民館(右)
佐賀市役所三瀬支所(左手茶色の建物)と三瀬公民館(右) 

2022-09-10、観音寺の場所を探しに、福岡市より三瀬村に登る。 3回目のチャレンジ。

宿(しゅく)のバス停付近にある民家の庭先におられた初老の女性に尋ねると、お家の中からご主人と思しき方を呼んでくださった。ご主人と思しき方から場所を教えて頂いた。感謝感謝・ラッキー。

参道口と思しき所から坂道を登るが、参道両サイドは草木が繁茂。 長いものの出現を恐れ、前進を断念。

前出の初老の女性からは、宿公民館場所も教えて頂いた。 この公民館が上の歴史の項の[寛文7歳以丁未(1667)12月吉日に神代大和守武辺朝臣直長公銘入り寄進の半鐘]がある部落公民館の事だろう。 宿公民館は真新しい建物。扉は施錠されており、半鐘は確認できなかった。 区長さんが鍵をお持ちのようだが、あいにくお留守の由。

その後、三瀬街道のルートの踏査。たまたま、三瀬公民館の前を通ると扉が開いている。 単なる思いつきで中に入って見ると、小規模な図書館がある。 係員に観音寺関連の資料を探している旨、申し出ると、一緒になって探して下さり、観音寺の所在を示す地図・関連する資料を探して下さった。またまた感謝感謝。この地図と、上の前出のご主人のお話とで、観音寺の所在は、ほぼ確定できた。

当図書館には三瀬村に関わる資料(手書きも含む)が多数保管されている。


歴史検討メモ

作者の当寺関連の歴史の検討メモです。ご参考。

  • 「つまびらかではないが、三瀬山村今原(作者:昭和バスの「今原バス停」がここにある。)の杉屋敷に、千古の歳月を経たという杉の大木が立っていた。 この杉に朝日の影がさすときは、北山陣ノ内村まで陰がのび、夕日の影が照るときは、長谷山観音禅寺近くまでその陰がとどいた。」(『三瀬村誌』p666-668)
  • 「孫太郎観音」の場所の記述に「長谷山円通観音禅寺抱宮」とある。(『三瀬村誌』p668)
  • 「明徳4年(1393)三瀬山一体を掌領する野田三郎大江家房が祖父の大江清秀公の御霊を祀るべくその館跡に一宇を建立。長谷山観音寺に宗師を迎えて宗祖の霊位大法要を営み併せて地蔵尊を安置開眼大常用を施行しました。」(脚気地蔵境内の案内板)
  • 神代長良(くましろながよし)(1573-1581)の墓所が「三瀬山長谷山観音禅寺」であるとの記事。(神代長良 - Wikipedia)
  • 「神代長良は(中略)天正9年(1581)(中略)三瀬城河内屋敷で死去した。(中略)法謚梁山宗異大禅定門、東南に当たる長谷山観音禅寺に葬った。」(『三瀬村誌』P163)
  • 「長谷山観音禅寺は、何時の時代に創建されたかは不明であるが、昔は天台宗の道場背振山の末寺で、長谷山の名は、和州長谷境に対比してつけられたというが、文永元年(1246)に三瀬山内に来着した野田周防守清秀(三瀬氏の祖)が、杉大明神とこの寺を尊崇し、仏供糧を寄進して供養したので、周防守を開基としたこともあった。当時は杉神社の社務がこの寺の僧を兼ねたという。その後、神代家時代には、太陽山玉林寺の末山とされた。本尊は観世音菩薩で、僧春日の作といわれる。」(『三瀬村誌』P163)
  • 享保9年(1722)観音寺第12代住職泰山明叟『長谷山観音禅寺記』を著したことが記載されている。 詳細は略す。(『三瀬村誌』P204-207)
  • 「抱宮之事 杉大明神 祭禮 9月19日」(『三瀬村誌』P733-734)
  • 「神崎郡三瀬村 一、孫太郎神(現在は観音)」「開山拙叟能大和尚、伝法1代泰山明大和尚、2代法空天大和尚、3代逸山後大和尚、4代法山道大和尚」(『三瀬村誌』P733-734)
  • 「観音寺は神代家由緒の寺であったが、昭和38年、大雪の中失火に仍って全焼しそのすべてを失ってしまった。唯1つだけ[寛文7歳(1667)以丁未12月吉日に神代大和守武辺朝臣直長公銘入り寄進の半鐘]が村内宿の部落公民館に保存されている」(『三瀬村誌』P733-734)
  • 「現在は焼失後、諸般の事情によって再建不能をもって中村・清流寺へ廃寺し合併されている。」(『三瀬村誌』P733-734)

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