仏旗 長谷山 観音寺跡(かんのんじ) [円通観音禅寺] 曹洞宗[未]  KANNONJI TEMPLE TEMPLE 背振千坊

  • 神代長良の墓(『三瀬村史』P163より引用)
    神代長良の墓(『三瀬村史』P163より引用) 
住所
〒842-0301 佐賀県佐賀市三瀬村三瀬 標高:387.1m MAP GMAP  
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歴史

はじめに、当寺跡の場所の特定ができていません。現在調査中。 現在は、仮に杉神社の位置としています。ご注意ください。

何時の時代に創建されたかは不明であるが、昔は天台宗の道場背振山の末寺で、長谷山の名は、和州長谷境に対比してつけられたという。文永元年1246に三瀬山内に来着した野田周防守清秀(三瀬氏の祖)が、杉大明神とこの寺を尊崇し、仏供糧を寄進して供養したので、周防守を開基としたこともあった。当時は杉神社の社務がこの寺の僧を兼ねたという。その後、神代家時代には、太陽山玉林寺の末山とされた。本尊は観世音菩薩で、僧春日の作といわれる。 三瀬城主、神代長良(くましろながよし)1573-1581はこの寺に葬られたという。

昭和38年、大雪の中失火に仍って全焼しそのすべてを失ってしまった。唯1つだけ[寛文7歳1667以丁未12月吉日に神代大和守武辺朝臣直長公銘入り寄進の半鐘]が村内宿の部落公民館に保存されているという。 焼失後、諸般の事情によって再建不能をもって中村・清流寺へ廃寺し合併されている。

杉神社・孫太郎観音堂脚気地蔵の祭祀も行っていたようだ。(『三瀬村史』より)

当ページの下部に歴史検討資料抜粋を掲示する。

ひとくちメモ

未参拝の為、未稿。

歴史検討資料抜粋

  • 「つまびらかではないが、三瀬山村今原(作者:昭和バスの「今原バス停」がここにある。)の杉屋敷に、千古の歳月を経たという杉の大木が立っていた。  この杉に朝日の影がさすときは、北山陣ノ内村まで陰がのび、夕日の影が照るときは、長谷山観音禅寺近くまでその陰がとどいた。」(『三瀬村史』p666-668)
  • 「孫太郎観音」の場所の記述に「長谷山円通観音禅寺抱宮」とある。(『三瀬村史』p668)
  • 「明徳4年1393三瀬山一体を掌領する野田三郎大江家房が祖父の大江清秀公の御霊を祀るべくその館跡に一宇を建立。長谷山観音寺に宗師を迎えて宗祖の霊位大法要を営み併せて地蔵尊を安置開眼大常用を施行しました。」(脚気地蔵境内の案内板)
  • 神代長良(くましろながよし)1573-1581の墓所が「三瀬山長谷山観音禅寺」であるとの記事。(神代長良 - Wikipedia)
  • 「神代長良は(中略)天正9年1581(中略)三瀬城河内屋敷で死去した。(中略)法謚梁山宗異大禅定門、東南に当たる長谷山観音禅寺に葬った。」(『三瀬村史』P163)
  • 「長谷山観音禅寺は、何時の時代に創建されたかは不明であるが、昔は天台宗の道場背振山の末寺で、長谷山の名は、和州長谷境に対比してつけられたというが、文永元年1246に三瀬山内に来着した野田周防守清秀(三瀬氏の祖)が、杉大明神とこの寺を尊崇し、仏供糧を寄進して供養したので、周防守を開基としたこともあった。当時は杉神社の社務がこの寺の僧を兼ねたという。その後、神代家時代には、太陽山玉林寺の末山とされた。本尊は観世音菩薩で、僧春日の作といわれる。」(『三瀬村史』P163)
  • 享保9年1722観音寺第12代住職泰山明叟『長谷山観音禅寺記』を著したことが記載されている。 詳細は略す。(『三瀬村史』P204-207)
  • 「抱宮之事 杉大明神 祭禮 9月19日」(『三瀬村史』P733-734)
  • 「神崎郡三瀬村 一、孫太郎神(現在は観音)」「開山拙叟能大和尚、伝法1代泰山明大和尚、2代法空天大和尚、3代逸山後大和尚、4代法山道大和尚」(『三瀬村史』P733-734)
  • 「観音寺は神代家由緒の寺であったが、昭和38年、大雪の中失火に仍って全焼しそのすべてを失ってしまった。唯1つだけ[寛文7歳1667以丁未12月吉日に神代大和守武辺朝臣直長公銘入り寄進の半鐘]が村内宿の部落公民館に保存されている」(『三瀬村史』P733-734)
  • 「現在は焼失後、諸般の事情によって再建不能をもって中村・清流寺へ廃寺し合併されている。」(『三瀬村史』P733-734)

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