上無津呂淀姫神社
神道
★☆☆
肥前鳥居
神代勝利
砥川石工
- 住所・電話
- 〒840-0536 佐賀県佐賀市富士町大字上無津呂2844 標高:355.6m 地図 GMAP
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歴史
祭神は豊玉姫命・玉依姫命・高皇産霊神・猿田彦命・句句之智命・保食神・大山祇命・新田義貞・鎌倉景政。
創建の年代は詳かではないが、文久3年(1863)9月に1350年祭の執行があった記録がある。これから推して6世紀前半継体天皇の御宇の勧請であろうと察せられる。(Links① より)
栄禄4年(1561)、龍造寺隆信との川上合戦で大敗した勝利は、追っ手を避けながら当社に救いを求めた。 宮司賀村大和守舎種は神代父子を社内に隠し、村民を集めて大祭のまねをし神楽を奏していた。 龍造寺の追ってが来て探索したが発見できず、難を逃れた。[1]
神代父子はその後、松浦郡草野に逃れ、ついで彼杵郡波佐見に移った。 その年の12月、神代の家臣が真那古の代官所を襲い、勝利父子を迎え入れて三瀬城に戻った。(以上 『神代勝利ゆかりの地ガイドブック』より)
境内には肥前鳥居あり。
ひとくちメモ
上無津呂淀姫神社の門前を流れる神水川の支流は、下って嘉瀬川ダムに水を注ぐ清流である。 集落内は、静かで周辺は山々・田園風景に囲まれている。
両サイドにイチョウの巨木がある鳥居(肥前鳥居)をくぐって、境内に入る。 社殿の前には狛犬が鎮座。 拝殿もなかなか凝った造りである。 拝殿に向って右手には、相撲場・ムクノキ・馬像・ナマズ像などがみられる。
鳥居のすぐ先には「筑前國姪濱 石工 清水藤平」銘の旗立石がある。 ここから、道なりに4km足らず上ると長野峠がある。ここは県境である。峠を越えると福岡県だが、 そこから姪浜(福岡市西区)まではかなり遠い。 姪浜の石工がここまで山を越えて来たことに驚く。
当社の門前の道を少し登った所には吉村家住宅がある。
写真
拝殿 社殿 - 横から撮影 神殿 境内風景(前方の鳥居の両側にはイチョウの大木) - 拝殿を背にして撮影 ムクノキ(推定樹齢250年) 相撲場 - 社殿に向って右脇 手水舎 馬像 - ムクノキの手前 ナマズ像 - ムクノキの手前 旗立石(「筑前國姪濱 石工 清水藤平」銘) - 鳥居の裏手 遠景(赤丸内に鳥居) 門前を流れる神水川の支流 上無津呂の集落(赤矢印の先に羽金山の山頂が見える)
肥前鳥居
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境内にある鳥居はこの肥前鳥居だけである。
柱がやや細めの女性的な姿。銘などは確認できない。
神代勝利がこの寺に逃げ込んで来た時もこの鳥居が立っていたのだろうか?
狛犬
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阿形の狛犬の台座に「安政六己未天(1859) 霜月吉祥日」銘。 吽形の狛犬の台座に「石工 平川儀助・平川宇助」銘。
2名の石工の姓はいずれも「平川」。 牛津の砥川石工の名工平川与四右衛門の姓と同じである。 この二人の石工は、与四右衛門の末裔の石工の可能性はないだろうか?
ちなみに、砥川石工は肥前狛犬も多数造立した。だが、当社の狛犬は肥前狛犬ではなさそうだ。肥前狛犬はもうちょっとシンプルなお姿。残念。
この二匹の狛犬は小太りしたブルドッグに良く似ている。 特にお尻がかわいい。(笑)
吉村家住宅
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昭和47年(1972)、住宅内から「天明九歳四月、大工藤原村羽右衛門」と記された墨書が発見され、 当家の建築は天明9年(1789)とみなされ、佐賀県下における年代の明らかな民家としては最古のもの。
昭和57年(1982)に修復事業に着工。翌年に工事を完了した。 屋根の葺替えには、地元産の1400束の茅が使われた。(以上 住宅前の案内板(富士町教育委員会)より)
作者が訪れた時()、佐賀市の職員がおられ、当日に屋根の葺替えの業者説明会があるとのことだった。
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