脚気地蔵
[山中地蔵尊]
仏教礼拝所
☆☆☆
神代勝利
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- 〒842-0301 佐賀県佐賀市三瀬村三瀬933 標高:476.6m 地図 GMAP
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歴史
境内に設置されている新築落慶記念碑(平成16年6月吉日)の内容を下に記す。 (裏面に施工大工名・建設委員名・寄付者の氏名の他「絵馬揮毫 日田市岳林寺 永渕正彦涙露」と刻まれている。)
山中地蔵尊縁起
(前略)明徳4年(1393)三瀬山一体を掌領する野田三郎大江家房が祖父の大江清秀公の御霊を祀るべくその館跡に一宇を建立。 長谷山観音寺に宗師を迎えて宗祖の霊位大法要を営み併せて地蔵尊を安置開眼大常用を施行しました。 その後、山内諸郷の人々は清秀公の遺徳を慕って厚く宗敬しました。
爾来幾度かの修築を重ね現在のお堂は平成16年6月に新築落慶されました。
脚気地蔵尊の由来
脚気地蔵尊とも称される由来は、山内諸城主話合いのうえ西暦1530年頃、筑後の神氏勝利を迎えて三瀬城の統将とし、その居城と定めた。 時恰も戦国の世、龍造寺 大友の大藩としばしば鉾を交えましたがその都度神出鬼没の健脚を利して敵を撃破しました。 これも一重に武将を祀る地蔵尊の加護によるものと信じ出陣の折には必ず祈願をこめていたもので古書に「征戦万里疲れを知らず」とある語辞から活気に因み脚気地蔵と言い伝えられて今日もなお多くの人々がお参りに見えます。
毎年7月24日はお地蔵祭りが行われています。
Linksのページに戦国期にはこの山内には三瀬城をはじめ多数の山城があったことが記されている。 これより西1.7km(≒15町)の所の三瀬街道(現国道263号線)の道端には道標「山中地蔵尊 十五丁」(文政6年(1823)癸未7月吉日 高木氏胤銘)がある(Linksのページによれば氏胤は関所役人であったとのこと)。
ひとくちメモ
地蔵堂は、祭壇左手の地蔵像以外は全て新しい。 壁には多数の絵馬が掛けられ、天井には一枡毎に絵が描かれている。 祭壇の前には多数の脚気のチェック用と思しき木製の木槌が奉納されている。
境内には2基の石塔・大師堂・火災記念碑などがみられる。 ここは山中キャンプ場の場内でもあるらしく、周辺のよく整備された杉木立の中にログハウスが点在している。
写真
地蔵堂の扁額 祭壇全景 中央の地蔵尊(平成16年銘) 左手の地蔵尊(こちらは古仏) 奉納されている多数のトンカチ 堂内の装飾 堂内の装飾 堂内の装飾 福助 地蔵堂前の石塔 境内風景 - 地蔵堂を背にして撮影 火災記念碑(大正3年銘) 弘法大師像 大師堂 地蔵堂脇の杉木立(よく整備されている) 境内風景 杉木立の中のログハウス 境内風景 門前の清流 門前の風景
関連ページ(※歴史的に過去に関連していた神仏施設他も含めています。必ずしも現在関連しているとは限りません。)
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