bukki 補陀山 慈廣寺(じこうじ) [慈廣禅寺・慈広寺] 曹洞宗 ☆☆☆ ソテツ 六地蔵塔 肥前国鍋島藩菩提所

住所・電話
〒840-2101 佐賀県佐賀市諸富町大堂1466   標高:5.3m MAP GMAP 0952-47-2760 
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歴史

伊藤氏メモ以下は、『諸富町史』による。

清和源氏太田持資入道道灌[1]より5代の子孫である太田美濃守資元(浄泉)が、享禄2年(1529)一族郎党を従え川副庄太田郷に下向し、その東部地区を領有し城を太田に築き田中城と号した。浄泉は龍造寺剛忠に仕え川副東部の守りを固め、鎮守の森に太田六所宮を建立した。天文2年(1533)玉林寺(佐賀市大和町久池井)より傅翁大宅和尚を請し、開山第1世とし当寺を創建した。

創建当時より明治初年までは、七堂伽藍が備わった鍋島家累代の菩提所であったが、明治維新後武家の衰亡とともに寺門も衰え、山門・庫裡・倉庫・禅堂等は売却され伽藍の規模は縮少された。

その後大正9年(1920)庫裡の再建、大正15年(1926)庫裡の増築・本堂の大修理がなされたが往時の面影を見ることはできない。

境内廟所には開基浄泉以下歴代の住職の墳墓や、鍋島勝茂の姉・瑞光院円昌妙高大姉などの墳墓がある[2]。また境内には、樹齢約500年といわれる大きな蘇鉄の木がある。()

ひとくちメモ

初参拝。あいにく本堂は改築中と見え、作業用の足場で囲まれていた。 「肥前国鍋島藩菩提所」は本堂に向って左手にある。名のある方々の墓碑が多数みられる。

太田美濃守資元(浄泉)が築城した田中城は当慈廣寺と南隣の宝光院の寺域が収まる規模のものであったようだ。下写真(太田地区通称地名図)参照のこと。(宝光院西側の案内板より)

写真

  • 本堂(改築中)
    本堂(改築中) 
  • 樹齢約500年といわれる大きな蘇鉄 - 本堂前
    樹齢約500年といわれる大きな蘇鉄 - 本堂前 
  • 「史跡・肥前国鍋島藩菩提所」の石碑
    「史跡・肥前国鍋島藩菩提所」の石碑 
  • 境内風景 - 本堂を背にして撮影
    境内風景 - 本堂を背にして撮影 
  • 大黒天・恵比寿天
    大黒天・恵比寿天 
  • 六地蔵塔(幢身が欠落している)
    六地蔵塔(幢身が欠落している) 
  • 鍋島藩墓所入口
    鍋島藩墓所入口 
  • 鍋島藩墓所
    鍋島藩墓所 
  • 鍋島藩墓所
    鍋島藩墓所 
  • 太田地区通称地名図 - 宝光院西側の案内板より引用
    太田地区通称地名図 - 宝光院西側の案内板より引用 

太田六所宮

社殿
社殿 
鳥居
鳥居 
肥前狛犬(吽型、江戸後期の作という)
肥前狛犬(吽型、江戸後期の作という) 
肥前狛犬(阿型、江戸後期の作という)
肥前狛犬(阿型、江戸後期の作という) 
太田美濃守資元(浄泉)像
太田美濃守資元(浄泉)像 
神門
神門 
境内風景
境内風景 
門前の風景
門前の風景 

太田六所宮は慈廣寺の北方200mほどの所に鎮座。真東に向って参道が300m超ある。

当社は慈廣寺開基の太田美濃守資元(浄泉)が天文14年(1545)に自らの姓を冠して創建した。(境内の太田美濃守資元(浄泉)像前の案内板より)

社殿前の一対の石灯籠は万延元年(1860)太田氏第25世、佐賀藩家老・太田茂快(しげよし)が寄進した。(石灯籠脇の案内柱より)

社殿前の肥前狛犬は江戸後期の作という。境内には太田美濃守資元(浄泉)の石像が祀られる石祠もある。

5年に1回「太田の浮流」が奉納される。詳しくはLinks② 参照のこと。


脚注

関連寺院(※過去に関連していた寺院も含みます。必ずしも現在関連している寺院とは限りません。)

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