heritage 北面天満宮(ほくめんてんまんぐう) 神道 ☆☆☆ 肥前鳥居 長崎街道 伊藤氏参拝済

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〒840-0845 佐賀県佐賀市六座町1-14   標高:6.5m 地図 GMAP
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歴史

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北面天満宮の縁起と六座町の由来

北面天満宮は、むかし、鍋島町蛎久(かきひさ)[1]が肥前の国府であった頃、 市場に鎮座の一国一社の天満宮を佐賀城下の町造りの際、 鋼島直茂(1537-1618)が蛎久の市場と共に当地に移してまつった。

当時蛎久で神社[2]の諸事を司どっていた天徳寺住持、 竹庵西堂は藩主の命を受け豪族右近刑部その他有力な人々とともに天正3年(1575)11月25日 神霊をこの地に移してまつり現在に至っている。

以来天満宮は文教の守護神として又、 火災除けの神として住民の崇拝厚くその実りとして六座町には今日まで大火災はないと言われ ている。 現在の神殿は貞享3年(1686)拝殿は元禄15年(1702)改築されたものである。

又、 所蔵の大太鼓は慶長11年(1606)製作され石の鳥居は明暦4 年(1658)の建立となっている。 六座町の名は、 蛎久から天満宮とともに市場が移されたとき穀物座、木工座、金銀座、縫工座、煙硝座、鉄砲座の六つの座ができたことから由来している。 六座町は佐賀城下で一番古い歴史を持った町で、市場発祥の地として長崎街道佐賀城下の繁華街であった。

門前の道は長崎街道である。

ひとくちメモ

北面天満宮の肥前鳥居はサイズこそ小さいが、足の元部が太くどっしりとしてひときわ存在感がある。

写真

  • 鳥居の裏手の神門
    鳥居の裏手の神門  
  • 門の屋根部の彫物
    門の屋根部の彫物  
  • 境内風景 - ここにも恵比寿像
    境内風景 - ここにも恵比寿像  
  • 天満宮前の長崎街道 - 牛津宿に向かって撮影
    天満宮前の長崎街道 - 牛津宿に向かって撮影  

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脚注