heritage 木原日枝神社(きはらひえじんじゃ) [日枝神社] 神道 ☆☆☆ 脱腸 解熱 肥前鳥居

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〒840-0015 佐賀県佐賀市木原1丁目8-35   標高:5.9m 地図 GMAP 0952-24-2624 
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歴史

大同元年(806)、伝教大師が当地に自ら山王・八王子の神像を彫り、当地に奉斎して福満寺の鎮護の神とした。 これが日枝神社の起源である。入唐して帰朝後、比叡山を建立した直後のことである。

その後、戦乱の為焼失。元亀年中、龍造寺氏によって再興された。 慶長年中(1596-1615)、鍋島直茂が宝殿・拝殿・神門・鳥居を造営した。 以来、藩主の尊崇は変わることがなかった。(以上 境内の案内板より)

祭りは、儀祭2月24日、春祭4月15日、夏祭7月15日、秋祭11月23日の4回行なわれ、大御田祭(おんださい)申歳(さるどし)に、4月15日を中心に13日間の大祭として行なわれている。(Links② より)

当社入口には昭和55年(1980)に再建された肥前鳥居が1基みられる。

2022-05-27、初参拝。境内におられた宮司様より長時間、丁寧な当社の案内をして頂いた。 当ページの記事を書く上でも大変参考になった。感謝感謝。

ひとくちメモ

門前から、東側に伸びる細い道が昔の参道だったのだろう。この道は途中、県道333号線と交差して福満寺の西側まで伸びている。 当社は昔の福満寺の境内の西に端に鎮座していたというから、福満寺の境内の広さは並のものではなかったことがわかる。

この参道を東側から進んで来ると、当社の境内に突き当たるが、肥前鳥居のある場所はその5mほど手前を右に曲がり5mほどの所にあるのでご用心。 境内は推定樹齢700年という大樹他、多くの木々に覆われている。 境内北側には近隣から寄せられた多くの摂社・末社・石仏・石塔が祀られている。 社殿に向かって左脇には脱腸・解熱の神様が鎮座している。

写真

  • 大楠(高24m、幹周り6m、枝張り23m、推定樹齢700年 - 案内板より)
    大楠(高24m、幹周り6m、枝張り23m、推定樹齢700年 - 案内板より) 
  • 手水舎
    手水舎 
  • 神輿庫
    神輿庫 
  • 合祀された摂社・末社
    合祀された摂社・末社 
  • 天満宮鳥居 - 社殿に向かって右手
    天満宮鳥居 - 社殿に向かって右手 
  • 天満宮神殿(石祠となっている)
    天満宮神殿(石祠となっている) 
  • 倉成稲荷社 - 社殿に向かって右手
    倉成稲荷社 - 社殿に向かって右手 
  • 近隣より寄せられた石塔・石仏群 - 社殿に向かって右手
    近隣より寄せられた石塔・石仏群 - 社殿に向かって右手 
  • 近隣より寄せられた石塔・石仏群 - 社殿に向かって右手
    近隣より寄せられた石塔・石仏群 - 社殿に向かって右手 

肥前鳥居

肥前鳥居(昭和55年再建) - 境内より撮影
肥前鳥居(昭和55年再建) - 境内より撮影 
以前の肥前鳥居の額束
以前の肥前鳥居の額束 
以前の肥前鳥居の部材
以前の肥前鳥居の部材 

この鳥居は、明暦3年(1657)2月(初代藩主、鍋島勝茂代)、に奉納された。 願主は神代茂範(勝茂の実子)・鍋島吉茂(2代藩主光茂の実子)。

昭和20年(1945)8月5日夜間の佐賀空襲に当社周辺が被災。 鳥居が高熱によって変質。もろくなって危険になったので、昭和55年(1980)に再建されたもの。大楠も被災。ヤケド跡が残るも幸い樹勢盛んである。(宮司様談)

被災した元の鳥居の部材は境内の隅に雨ざらしで並べられている。

雨ざらしの鳥居の部材の脇に石製の案内板がある。その内容を下に記す。

肥前石鳥居奉建立趣意

大日本国鎮西肥前佐嘉群木原山王大権現

右音□者大檀那御武運長久國家安全御立願成辮祈処也

國央鍋嶋信濃守四位侍従藤原勝茂[1]朝臣

檀主神代大和守平茂範[2]朝臣 松平丹後守藤原吉茂[3]朝臣により明暦三年(1657)二月吉祥日建立

享保ニ丁酉(1717)杞土用吉日権大僧都宝壽□一乗院(記)

右由緒深き肥前鳥居なるも老朽危険のため昭和五十五年(1980)十月大御田祭りにさいし建替此に保存す

日枝神社宮司日吉昭馬代


脱腸・解熱の神様

脱腸の神様(左手)と猿田彦大神(解熱に霊験ありという)
脱腸の神様(左手)と猿田彦大神(解熱に霊験ありという) 

社殿に向って左手奥に石祠(向って左手)と石塔が立っている。

石祠の脇に「脱腸(だっちょう)[4]の神様伽藍(がらん)さん」と表示された木杭が立っている。 この神様はこの病の治療に霊験あらたかで、他藩からもお参りがされていたという。

向って右手の石塔は猿田彦大神。作者もよく見かける。こちらの猿田彦大神は解熱にご利益があるという。 解熱のお願いをする時には豆腐(とうふ)をお供えするとのこと。(以上 宮司様談)


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脚注