五龍神社
[五龍大明神]
神仏習合
★☆☆
肥前鳥居
馬頭観音
- 住所・電話
- 〒840-0857 佐賀県佐賀市鍋島町八戸1054-2 標高:4.9m 地図 GMAP 0952-26-3244
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歴史
境内の案内板(昭和60年(1985)7月吉日 宮司銘)の内容を下に記す。
祭神:海童神(龍神)。併祀の神々:天照皇大神、仁徳天皇、菅原道真公
(中略)由緒沿革
五龍神社の縁起によれば、この地方の長者田中某(今は地名となって残っている)は広く商売を営み、巨万の財宝を蓄え、大船を浮べ大陸と交易したため、かねて海上の平安を祈り、龍神を深く信仰していた或夜の霊夢により西方の海中から不思議な光を伴い黄金色の霊石を得たので危難除去の守護神として国家の鎮護と一族の繁栄を祈念し、村の西隅に一祠を建て、五龍社と称した。
時まさに今を溯る1421年前のことで第29代欽明天皇26年である。このことを知った里人も鎮守の神として崇敬し霊験あらたなるものを感ずるにつれ信仰の度は益々深まり、のちには與賀神社の攝社として二の宮とも称せられた。
藩祖鍋島直茂公は家臣多久長門に命じて七社明神を配祀し、初代藩主勝茂公は親しく参拝の上、元和年間(1615-1624)に社殿を造営し併せて八戸村の田地4丁8反を祭祀田として奉納すると共に松・樟1000本を境内を中心に植栽奉納した。
このようにして藩政時代は神事も盛大に行われたが藩政奉還による変革で明治6年(1873)に村社に列せられ、同29年(1896)には管内数社を併祀し本日に至っている。
ひとくちメモ
五龍神社の杜はまるで田の中の浮島のような趣きである。 杜を囲む田圃も杜の形に合せた形状をしている。 航空写真で見るとよくわかる。
参道口にある一の鳥居(明神鳥居)をくぐり、ニの鳥居(肥前鳥居)をくぐり、三の鳥居をくぐれば拝殿の前にたどり着く。 拝殿の右手には手前から不動堂・九頭龍権現社、薬師堂、足手荒神社と3つの堂宇が並んでいる。 社殿の裏手・両サイドには多くの石祠・石塔・石仏がみられる。 拝殿に向って左手には鳥居に「如意山」と記された摂社と思われるお宮が鎮座している。
薬師堂は格子戸があり、格子戸越しに拝んだが、薬師如来と十二神将がセットで祀られているようだ。
ニの鳥居は肥前鳥居。かなり歴史のあるもののようだが、奉納年号などの銘は確認できない、 三の鳥居(拝殿前)は肥前鳥居の形であるが、柱に継ぎ目が無く、どうやら最近奉納されたもののようだ。 柱に「千四百五年祭」という銘がある。
写真
参道口(一の鳥居が見える、鳥居前の常夜灯に「嘉永七寅(1854)十一月吉祥日」銘) ニの鳥居 - 社殿を背にして撮影 ニの鳥居(肥前鳥居)の額束(「五龍大明神」) 三の鳥居 - 社殿を背にして撮影 三の鳥居(「千四百五年祭」銘の肥前鳥居) 手前より不動堂・九頭龍権現社、薬師堂、足手荒神社 不動堂・九頭龍権現社 祭壇 - 不動堂・九頭龍権現社 不動明王 - 不動堂・九頭龍権現社 九頭龍権現(?) - 不動堂・九頭龍権現社 薬師堂 薬師如来 - 薬師堂 十二神将 - 薬師堂 足手荒神社 社殿横の石塔群 社殿裏手の石塔・石仏群 馬頭観音(拡大) - 社殿裏手の石塔・石仏群 「如意山」と鳥居の額束に記された摂社 青面金剛(と思われる) - 「如意山」と鳥居額束に記された摂社境内
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